Friday, May 29, 2009

豚にもソース



  ▱ la crise de la critique ▱
 ┌────────────────────────────────
 │ 豚にもソース
 └────────────────────────────────

   アメリカンはポークを食べない。
   これは半分当たっていて、半分は当たっていない。前半分はクリス
  チャンという宗教的な背景があって、THE HOLY SCRIPTURES中
  の戒律のなかには、豚を忌避するよう書かれている。勿論、旧約を含
  めてTHE HOLY SCRIPTURESを信仰する人々、このなかにはユダ
  ヤ教徒、派生したイスラーム教徒も含めて。後の半分は、新約だけを
  信仰する人々で、カソリック、そしてプロテスタントになるんだけど
  も、それでも、旧約と新約は一体不可分なものをねじ曲げた後ろめた
  さも手伝って、「成る可くは食べない」くらいの消極的なもの。然し
  これが南部。例えばルイジアナ辺に行くと、ポークは好まれて食べら
  ている。だからポークといえば南部が本場。そういう影像は、アメリ
  カンなら誰でもが持っている。

   アメリカ聖書事典には次のように存る。
  
  豚【swine】ギリシャ語:コイロス;ヒュース(雌豚);ヘブライ語
  :ハジール。
  豚は反すうしないので、モーゼの律法の条項により食物や犠牲として
  は受け入れられないものとして規定された。豚肉を食べないという禁
  令は、必ずしも健康上の理由に基づいたものではないが、豚肉を食物
  とすることには危険が伴ったようである。現在でもやはり危険があり、
  その説明としては、豚は見境なく何でも食べる習性があり、腐肉や屑
  肉でさへも食し、旋毛虫症や回虫症といった疾患の原因となるものを
  含めて、様々な寄生虫の温床となることが指摘されている。
  一般にイスラエル人は、豚を特に忌むべきものとみなしていた。その
  為、忌むべき崇拝の最たるものについては、「供え物を捧げる者は-
  豚の血を!」という言葉で伝えられている(参照イザヤ66:3)
  イスラエル人にとっては、豚の鼻に金の鼻輪を付けること以上に不適
  切な事柄は先ず有り得なかった。箴言11:22では、外見は美しくとも
  分別のない女性をその樣になぞらえている。
  背教したイスラエル人は豚肉を食べたが(イザヤ65:4;66:17)、
  外典のマカベア第一書(1:65;ドゥエー)によれば、パレスティナ
  がシリアの王アンティコス4世エピファネによる支配下にあり、同王
  がヤハウェの崇拝を撲滅しようと悪辣な煽動をしたいた折、豚肉を食
  べるのを拒み、神の律法を侵すよりは王の布告に叛いて死ぬことを択
  んだユダヤ人が多数いた。
  豚肉を食べない国民は外にも存在したが、ギリシャ人にとって豚肉は
  美食であった。それが為、ギリシャ文化の影響を受けた結果であろう
  と思われますが、キリスト・イエスが地上での宣教を行っていたころ
  には既に、パレスティナにも、デカポリス地方にかなりの頭数の豚が
  いたようであった。ガダラ人の地方には、約2000頭の豚の群れが
  少なくとも一単位存ったことが史料で確認されている。キリストは自
  らが追い出した悪霊たちに豚のこの大きな群れに入ることを許したが、
  その時、この動物はみな突進して断崖から落ち、海の中で溺死したと
  記録されている(参照マタイ8:28-32 マルコ5:11-13)

   THE HOLY SCRIPTURESは、比喩を把握しないと理解できない
  聖典であるんだけれど、豚も比喩であって、詰まり、「豚は見境なく
  何でも食べる習性があり、腐肉や屑肉でさへも食し、旋毛虫症や回虫
  症といった疾患の原因となるものを含めて、様々な寄生虫の温床とな
  る」とは、「見境な」く信仰する者を指していて、使徒ペテロは、信
  仰を捨て、以前の生き方に戻ってしまうクリスチャンに関して「洗わ
  れた後にまた泥のなかで転げ回る豚」と記録している(ペテロ第二2
  :22)。「豚に真珠」という言葉はこのTHE HOLY SCRIPTURES
  から来ているのは諸賢もご存知だろうと希うんだけれども、その意味
  を改めて説明すると、神の教えやその価値を認めない人に、その霊的
  なものを分ち与えるのは賢明なことではない、という意味で、キリス
  トは、その説明を、「豚には真珠の価値を認める能力はない」と使徒
  たちに説話されている。ただ、豚の名誉のために俺が言うのは、豚は
  不潔ではないということだろう。何でも喰うことは事実だけど。
   このように信仰というものは厳しいものであって、その人の一生を
  左右するものだということは、食べること一とつとっても疎かには出
  来ないということ。そしてこのアメリカを含めて、クリスチャン世界
  の生き方というのは、報じられている浮かれ騒ぎは、アメリカ全体の
  ほんの一部の、しかも目立つ部分だけを抜粋したようなものであるこ
  とが、ちょっとだけは判って貰えるかも知れない。
   俺はクリスチャンだけれども、神の律法に背する罪を負う者である。
  組合系であることは、誰がどんな詭弁を弄しても、聖典を読めば一目
  瞭然に律法として書かれているのだから。だからこそ、だからだが、
  罪を自覚しているかどうかが大事だと思っている。罪でないと詭弁を
  弄するのは、自分にまで叛くことになるだろう。そういう人々が異常
  に多い。罪であることを認めて、その上で、クリスチャンと名乗るの
  ではなく、THE HOLY SCRIPTURESを信じているが、俺の場合に
  はいちばん適切な自己規定かも知れない。

   さて、それは豚を喰ったという話。
   豚肉料理はそれこそ世界無尽蔵で、俺なんかは北京料理が代表して
  旨いなぁと意うし、湖南の毛家菜はにんにくと炊き込んだものも絶品
  だし、日本のトンカツもやっぱり旨いと意へば、真骨頂は我がバーベ
  キュー・バックリブの凄味もだろう。
   そして昨夕久しぶりに作ったのが、ルイジアナ・ポークチョップだ
  った。アメリカでのポーク料理の本場はルイジナに代表される深南部。
  ケイジャンと双ぶ料理で、LAでもその名も「ポーク」と題するお店
  があるほど。本来なら、焼き上げたポークの上に、真っ黒なペッパー
  を煮込んだソースがのせられてあるのが絶品なのだけど、俺一人でそ
  のソースは時間もかかって終うので、そうしたケイジャンではなく、
  普通のアフロの家庭で食べられているものを作って見た。
   ポークソテーの場合は、バターをたっぷり使った、バター焼が美味
  で、その上にマーマレードか、ピュアな蜂蜜をかけると、これまたア
  フロ料理になる。とても旨いものなのだけど、今回は、ケチャップと
  ソースを使った、チョップに。
   ここでも旨さの鍵は、ソースになる。日本に於いてもトンカツには
  ソースが欠かせない(俺は一晩置いた冷えたとんかつに醤油が大好き
  なんだけど)。筆頭は、ブルドック、次にカゴメ、続けば神戸のドロ
  ソースもあり、さいきんでは、農場で作る独立系のソース。或は浅草
  ソースであるとか限りがないが、世界的な市民権を得ているのは、も
  はやブルドックかカゴメということになる。ただ、それはトンカツの
  話ではあって、普遍的有効性を持たない限界も同時に負っている。特
  に、ポークチョップの場合、ブルドックなどは、味わいが間延びし放
  ちで冴えない。インパクトが結構弱いのは、煮るとよく判る。その点
  では、LEE & PERRINSのウスターが最上だと俺は意う。創業183
  5年。日本なら天保年間に産声を上げてより、アメリカの唯一の欠か
  せないソースとして君臨して来た歴史的な一品。その原点回帰の製品
  として、<シック(重厚)>が新発売されたので使って見る。そもそ
  も原点を謳っているのだから、このソースの始まりは、重厚だったの
  だ。紙袋に1本1本包装されたソースの封を切り、ひとつまみ味わえ
  ば、豊穣な果実のもたらす奥深い味わいに、ピリッとした辛さが絶妙
  なのだ。
   先ずは、豚肉。これは、ロースでも可いし、フィレでも構わない。
  その食で食べたい部位を択ぶ。昨夕はロイン(まぁロースのこと)。
  下処理は、水洗い。そして一枚一枚水気を拭き取り、そこに、モンゴ
  ルの塩を砕いたもの、そしてルイジアナのペッパーを両面にふりかけ
  て、冷蔵庫に30分ほど。お次は、ソースだ。ヘインツ、そしてこの
  LnPをどっさり使う。配分はケチャップ7にウスターが3ぐらい。そ
  れを鍋にかけ、ローリエその外の香草を入れ、極弱火でことこと煮込
  んでゆく。若し煮詰まる危険があるなら、スワンソンのスープを用意
  して置き、少しづつ入れてゆくのだが、こってり感を失ったら、もう
  チョップ・ソースにはならないので、極力我慢する。これはもう火加
  減に集中するのが賢明だ。
   後は寝かせた豚肉をこんがり焼き上げ、途中、ブランデーで火を飛
  ばし、火が通ったか通らないかの加減で、チョップ・ソースをごっそ
  り入れ、肉に絡めで、沁み通らせるように弱火でボイルしてゆく。肉
  とソースが絡むか絡まないかが、旨さの秘訣だろうと意う。盛り付け
  は、肉汁と邂逅したソースを上からこってりに掛けまわして出来上が
  り。

   ポーク・チョップには、ぜひとも、日本で入手できるなら、LnPの
  <シック』を使って貰いたい。ポーク・チョップの味わいがこれほど
  豊穣なものであるか、納得されるはず。

                            - 了 -

Wednesday, May 27, 2009

StarTAC IT'S BACK




  "ミスター。これはちょっと───"
  "サーヴィスが難しいんですか?"
  "いや、これがウォーキー・トーキーの初めてなんだって、私も見る
  のが初めてですから、ちょっと、びっくりして───"
  "無理ですか───"
  "いえ、そんなことないと意いますが、これはちょっと上に訊いてみ
  ますね。たぶん可能かとは意います。むぅん、これが無線で飛ばす奴
  だったんだぁ───"

   今朝は久しぶりの頭痛(思えばこの8年余頭痛などなかった)で、
  身体は重く、しかもナニをするのも億劫な朝なので、書き出しもいつ
  もより増して、ぼんやりしている。
   俺はいまセルを4つ持っている。民生用移動電話の最初の奴(簡単
  なベンチプレスには最適)、モトローラ2機に、iPhone。ずっと民生
  用セルを使って来たのだったが、昨年末に充電池のほうがもう寿命ら
  しく、今はインテリアの一とつになり、モトローラの1機は箱のなか
  に久しく眠ったまま、iPhoneはファミリー・プランで買わされたの
  だけど、俺には無用の長物でこれも置物にしかなっていない。なので、
  モトローラの、やっとモノトーンの表示からカラーに変わった最初の
  モノを使っていたのだけど、このタッチの操作が、小さ過ぎて、俺の
  指にはまったく合わない。だから、眠っているモトローラに再々登板
  を願おうと」(以前は一時的に使っていたが)、スプリントのショッ
  プに持ち込んだ昨日の会話が冒頭のそれ。

   NEXTEL i1000。
   それまではStarTACというセルラーフォンの記念碑的な傑作(まァ
  契約も$1000もしたんだけど)を使っていた。あの時代は雑音は
  多いし、どこでも使えるものでもなかったし、誰もがセルを持ってい
  る時代でもなかったから、コールされる、コールするは緊急事態以外
  には有り得なかった。それがセルラーフォーンの原点だと、俺はいま
  でも思っている。それはセルラーフォーンの登場に立ち会った人々の
  胸中にはどこかに「電話ってナンなんだろう」という意識を共有する
  ように意う。時節がどう変化しても。
   StarTACはそれから、蒐集の対象になって(今はどうか知らないけ
  れど)、破格の値段で譲って欲しいという人が居て、譲ったのだけど
  それに替わって求めたのが、このNEXTEL i1000。
   デザインも気に入ったし、使い勝手も未だに色褪せていない。タッ
  チも間違いはないし、いらいらすることもないし。電波もすこぶる強
  く、雑音もない。そしてこのセルでサン・フランシスコへの5号線を
  ひたすら疾走していた時。そこは家もないただ存るのは、無限に拡が
  る空と、平原のみが続く大地なのだが、突然にコールを知らせるシグ
  ナル。なにかの間違いではないかと、取ればなんと外国からのインタ
  ーナショナル・コリング。吃驚したのだったが、後で調べれば、サー
  ヴィス・エリア外には、無線にチェンジして電波を送り拾うというサ
  ーヴィス(オプション)だった。その雑音のない、明瞭でいまそこに
  相手がいるかと意う会話の数十分は今も忘れられない。この大国アメ
  リカならではの話になってしまうけれど。そしてこの機がいたく愛用
  するかというと、ウォーキー・トーキーが絶妙だったから。コールが
  ある、コールするにしても、一とつスイッチを叩けば、電話を持たず
  に相手と話ができる。これは画期的であって、母屋とゲスト・ハウス
  を結ぶ、ラジオのような感覚で使用できることだった。これももまた
  記念碑的な傑作だろうと意う。

   その傑作がまた甦れそうだ。
   電話は話すために、
   電話は用件を伝えるために───。
   ただそれだけなのは俺の場合言うまでもないけれど。

                            - 了 -

Tuesday, May 26, 2009

右脳も左脳も要求される -第二次核実験-



   旧聞には属さないが、日本で物議を醸した元軍人が、「左にか脳味
  噌が詰まっていないんだろう」とリベラルな人々を揶揄したことが有
  った。それが妥当かどうかは兎も角として、その発言を知った俺はの
  感想は「こんな軍人に戦闘指揮は希むべくもない」という感想と、そ
  の人物に傾倒する軍人が日本には多いことを聞き「これぢぁ大戦前の
  日本の愚かさから一歩も学んではいないではないか。地下の司馬さん
  も『見なくてよかった』の心情もよく判る」だった。その意味なら、
  日本には戰争遂行能力(=総力戦能力を含め)、策戦立案、分析、そ
  して決断といった能力に著しく欠ける軍隊と指揮官を喰わしていると
  いった事でもあり、或る意味で、仕方ない保証金の積み立ての気がし
  ないでもない。これは見方によってまた違うけれども。
   俺的な体験で言うと、軍人は右にも左にも脳味噌が詰まっていれば
  詰まっているほど優秀な軍人であり指揮官である。先の日本の軍人は
  彼の論法に習うなら「右にしか、しかもちょっとだけ脳みそが存る」
  にしか思えない。こんな軍人に国防の第一線を任せることは、それだ
  け平和であるという証左のように意う。戰争というものは、勝つか負
  けるかの場であって、そこにはイデオロギーなぞは凡そ無用な、それ
  でいて判断を誤らせる一等避けなければならない。それがアメリカの
  軍人としての在り方であって軍人養成の哲学。勝利する為には、あら
  ゆる方策、あらゆる詭計、あらゆる能力が動員されて、初めて戰争と
  いうもの、戦闘というものの彼我の力関係の膠着を突破することが可
  能になる。
   最上のアメリカの軍人というと、尊敬を込めてコリン・ルーサー・
  パウエル大将と答える。軍人一筋の氏の歩みそのものにも、数多の名
  誉(日本からは勲一等)、そして国務長官としての官僚としての能力
  ───アメリカンいろいろな人物に我がアメリカを仮託するのだけれ
  ども大将もその一人であることは言うまでもない。大将がオバマ候補
  を支援したのも、卓見した軍人として鍛えられた合理主義的精神。即
  ち国の命運を誰に託するが妥当であるかの、軍人的判断力からのもの
  だったとも言えるだろう。



  「パウエル氏は、とうに党から離れていると思いますがね。私は彼が
  まだ共和党員か知りませんけど」


  「チェイニさんは誤解してるんぢぁないでしょうか。私はまだ共和党
  の一員ですよ」

   いま共和党は内部分裂の様相を呈している。それはチェイニーに代
  表される、その娘が言うところの「保守主義は保守主義である」とい
  う、究めて退歩的な、メーシーズ的な論法の側と、大将に代表される
  、彼自身が問う「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤
  りの分岐点を見極め、そして如何なる方向に進むのか」という、保守
  そのものの総点検と再生を訴えている。共和党内部では、チェイニー
  側はローヴ元大統領上級大統領顧問が、大将側は、リッジ元国土安全
  保障長官が、中間にはギングリッジ元下院議長が───という構図な
  のだが、当のローヴ氏さへ大将には戻って(ブッシュ政権全面支持)
  欲しい、アドヴァイスが必要だとも語っているから、そこも俯瞰して
  図面を拡げて見ると、チェイニーと「狂った連中(ネオコン)」だけ
  の四面楚歌ということなるだろうか。「保守主義は保守主義」と娘は
  父を代弁するけれども、今、我々リパブリカンが再設定しなければな
  らないのは、この我がアメリカの歴史的な地殻変動的な変容にどう応
  じるかなのだと意う。ゲイである娘が「保守主義」と言うからには自
  らがThe Holy Scripturesに照らしてどうかを考えて見ただけでも、
  その保守主義が合理性を失っているではないか。その意味ではチェイ
  ニー氏には悪いが、彼もまた「右半分にしか脳みそが詰まっていない
  」と念はざるを得ないし、彼の発言はまた歴史と時代が変わる時に生
  じる人とその発言のように念う。


   北朝鮮の第二次核実験。
   直感だが箇条書きに遺して措くとする。

  ■北朝鮮がグラスの水を大きく揺さぶる

   ▷日本の雰囲気の微妙な変化
   ▷韓国内の動揺のなさ
   ▷ワシントンの対アジア外交の不稼働への督促状
   ▷中南海の困惑
   ▷クレムリンが中立であるのかどうか
  
  直感としては上記の箇条的なもので、この核実験は、言わば督促状の
  ようなものだと意う。恐らく、北京が態度を硬化することも、各国の
  態度が硬化することも完全に想定した上での、核実験だった。それで
  も膠着した情況を打開するには「グラスの水を揺らしてみる」。これ
  が戦術の要締であるから、北朝鮮の動きは、外交術からして当然も当
  然だろう。後はどういう変数が生じるかを見極め、第二、第三の手は
  姜錫柱外務第一次官とそのタスク・フォースが練り上げているに相違
  ない。不意打ちはどたばする人間が、浮き足立つ。しかしその不意打
  ちの中身によっては、人と人は利害関係ですったもんだりするように、
  国と国も同じく、すったもんだすることを見越している。それでも動
  かずば、戦前の日本ではないが「連盟よさらば!の手も存るだろう。
  北朝鮮の故金主席をして「我々は戦後50年も、事実上の制裁を受け
  てきたようなものだ」と語った、その言葉に、北朝鮮の力というもの
  を俺は視ている。あちらの経済は、制裁が前提の経済体制を構築して
  いる訳だから、最初から西側の論理が使えない。つまりこう問うとす
  る。

  「貧しくて自由がないなんておかしいですよ?そうじゃありませんか
  ?」
   彼等の多くはこう答えるだろう。
  「大御心の意を体して、貧しくとも国を守る」と。

   日本の戦前はこのような世界で一色化されていた、その歴史を分析
  すればそれで北朝鮮に人心はどこにあるか、「生きて陵辱の辱めを受
  けること勿れ」という軍人勅諭も、実は北朝鮮に受け継がれているこ
  とも理解出来る。そういう体制と生きる人々に、制裁を幾ら課したと
  ころで事態は何ら変化しないのは言うまでもない。ましてや、敵地攻
  撃論なぞは北朝鮮の希むところであり、それこそ、中国・韓国・台湾
  ASEANが一致して日本を警戒させることになるのも計算の上であろ
  う。しかし、高く評価したいのは麻生首相である。これまでの宰相は
  外交的詭計を使ったことがない。それか安倍のように子供の火遊びの
  ような「ごっこ」でしかなく、老獪な発言というものを日本の宰相か
  ら聞いたのは久しぶりである。その意でも、麻生発言は高く評価した
  いし、外交は能動的でなければならないを宰相自ら体現することに留
  意している。ただ、日本の論調がこんどは逆だ。どれもこれも腰砕け
  なのである。あれだけの攻撃性を北朝鮮に発揮しながら、微妙に動揺
  しているのが、こちらから見える。実際、ここは日本人が中国なり韓
  半島に対する差別構造にも辿れるのだが、「大したもんぢぁない」「
  「どうせ玩具みたいなもの」「そんなもん作れる筈がない」「どうせ
  失敗したんでしょ」───色々な発言のなかに、差別構造を見いだす。
  ところが、そういう人々こそ事実が事実になると───どう変容する
  か。それは人も同じで、ただ畏れるのか、戸惑うのか、それとも靡く
  のか、そのどちらかしか選択肢が亡い。第一次核実験、そして第一次
  から先のロケット打ち上げまで、日本は「上から目線」であったよう
  に意う。それが、変化を起こしている。その変化も、いまは当惑の状
  態であるから、これからまた攻撃性に再転化するだろうとも意うが、
  相当変わってゆくだろうなと直感している。「上から目線」は変わら
  ずとも、「怖い者には巻かれろ」的な部分が出て来るかも知れない。
   被害者の会に「拉致」された日本外交にも変数が生じるのではない
  かも含めて。田原氏はそれを語っただけであるのに、袋だたきという
  のは、日本がいかに外交的能力を欠いているかが判る。それさへもち
  ゃんと計算想定内に入れている北朝鮮外交部の手腕と能力は、敵なが
  ら天晴であると俺は意う。
   そして、ここが俺的な見方なのだが、この「グラスの水を大きく揺
   さぶる」策戦には、ピョンヤンの隠されたメッセージが存るように
  考える。それは「もっとちゃんとした人間を話し合いに出て来ないと
  埒が開かないでしょう」だ。その意味するところは、我がアメリカな
  らアメリカの現北朝鮮担当者、日本でなら山崎拓ぢぁダメだ」という
  メッセージだろうと。詰まりは、夫々の国の対北人脈の交替を促して
  いるように捉える。オバマ政権にも麻生政権にも、そして中南海にも。
  とすると、彼等の奈辺がどこにあるか判ってくる。
   それは一括妥結式、トップでの手打ちだろう。それが北朝鮮では「
  ご聖断」になるのだから。それ以外には亡いのです、と主張している
  ように意う。日本にそれに相応しい逸材がいるか?それは日本が決め
  ることだけれども、なるべく私心のない人物。しかも、全権を委任し
  て信任たる人物───俺的には中曽根元総理が最適だと意うのだが。

  「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤りの分岐点を見
  極め、そして如何なる方向に進むのか」

   パウエル大将的な存在をいま情勢は必要としているように意う午前
  だった。
                            - 了 -

Monday, May 25, 2009

What is displacede by these categories?


  What is displaced by these categories?
  The chief casualty the straightforward news piece and news w-
  ritten with a few (hard-won, to be sure) new details that does
  not move us significantly past what we already konow......

   全面刷新したNewsweek誌のミッチャム編集長のコラム「世界変革
  に対応する新しいマガジン」の一節で、ご覧のように「これからの我
  が雑誌は、誰でも既に知っている(情報世代の混迷)報道は取り挙げ
  ず、更に深く踏み入った誌面にする」というもので、値段も$1「も」
  上がった。
   TIME, US NewsとこのNewsweekは、ジェフィー・リューブでのオ
  イル交換、病室、公共機関───どこにでも必ず2誌は置いてある、
  アメリカの日常の活字メディアの一とつ。そこに+でPeopleが入れば
  完璧だろう。しかし各社とも経営は危険水域。ミッチャム氏が表現す
  る「情報世代の混迷」の結果、これまでのフレッシュな情報では勝ち
  目はない。なぜなら相手は、見出しと写真だけでニュースというもの
  を判断してしまう世代であって、それ以上を欲せず、考えることもし
  ないという世代に対して、明らかに時間速で遅れている活字メディア
  が抗することは土台無理であって、ならば、それを後追いするのでは
  なしに、一とつの重要なニュースを掘り下げて、多角的に検証する、
  本来のジァーナリズムに復帰しようという目算だと意う。その対象は、
  知識富裕層。つまり知識に置いて混迷世代とは一線を画す、富裕であ
  ってしかも知力の高い層ということになる。LAならブレントウッド
  かベルエアかはたまたヴェニスかウェスト・ハリウッドのネイヴァー
  に特化しようという。報道でも紹介されているように、高質度を目指
  すマガジンを作ろうという方針。我が家にも最新号が送られて来たの
  で、読んでみたが、第一印象は「これでは苦戦するんぢぁないだろう
  か」だった。オバマ大統領への直截インタヴュー、ペロシ下院議長の
  情報既知疑惑ルポ、ブッシュ前大統領の今───などで、大統領イン
  タヴューは、社主がポスト紙だけに、俺は飛ばしてしまい(「私はス
  ポーツ以外にテレヴィは見ない」で十分な回答だから)、読み込んだ
  のは、国際ルポの記事『困難な標的-アフリカ最後の戰争君主-』だ
  った。23年もの間、未だに殺害あるいは逮捕を免れている、ジョゼ
  フ・コニーなる、狂気の男の追跡記事。ウガンダ北部、スーダン南部、
  そしてコンゴで自らを霊媒と称して、数多の拉致と殺害に狂奔する1
  1歳から15歳の少年だけを集めた殺人部隊を用いる男の話なのだけ
  ど、以前であるならこの狂った男の情報だけで終ったことだろう。だ
  が誌面刷新のせいかも知れないが、実はこの狂信的男を支援している
  のが、外ならぬスーダン政府、就中、あのオマル・アル-バシルだとい
  うこと。我が国も含めて国際社会がなぜバシルを訴追しているかの、
  最大の事由はこれでもあるという情報は、読者層の溜飲を下げる内容
  かとは意う。

   だけれど、むぅん、ルポルタージュというものは机上で取材できる
  ものではなく、戦場なら戦場でそこに生き暮らす人々の中に、相当期
  間は入らなければ書けない性格のものであって、そういう意味なら、
  今のジャーナリズムはルポは一部を除いて潰滅的惨状だ。そういう読
  み応えがある報道というのは、今で言うならNATIONAL GEOGRAP-
  HICぐらいなもので、俺は専らそれを読んでいるし、どうせ机上で物
  事の本質にニヒルに迫ろうとするならNEW YORKERを読んでいる。
  そういう意味でならこの刷新はまだ中途半端ではないか───と意う。
  どうせなら写真の類いは極力外して、ほんとうに活字を欲している層、
  そして事象の本質に週刊誌的に迫ろうとする意気込み、そうしたスタ
  イルへの刷新ではないと、悪戯に中途半端で、$1を余計に支払う俺
  等からするとヴァリューというアメリカンの計算機から評価が弾き出
  される。
   さて、そんな新しい週刊誌を読んでいた昨日は、朝のタイムズから
  の購読料金改訂のお知らせのレター。昨年値上げしたばかりぢぁない
  かと、手紙を抜いて読めば、また改訂。日本で月の新聞購読料金は知
  らないが、新しい価格であると、月$62となる。こんな時代がやっ
  て来ようとは───。-:-;;
  まぁアメリカの新聞はよくやっている方だと意う(ル・モンドは遥か
  に重厚)。長大で執拗なルポルタージュ。日本からの報道なら、農村
  や漁村、そして大阪のあいりん地区に生きる老いた人々の絶望、トヨ
  タのお膝元である豊田市での失業の増大とホームレス化してゆく街。
  東京発がない。あの24時間の東京。一とつの巨大な消費欲望都市生
  じる、へんてこで奇妙ながらも、新しいカルチャーを発信しているそ
  のような風俗は報道に値しないのだろう。それよりも、日本の地方の
  余りの落差。これは韓国のソウルと農村、北朝鮮のピョンヤンと農村、
  中国の大都市と農村のアジア的社会のなかで、その突出した落差をそ
  こに見ているんだろうと想像するけれど、非常に読み応えがある。人
  そのもののうめきが伝わってくるようだ。これは小津や成瀬の描いた
  世界をアメリカンがどう受け取るか───そこら辺にも通底するよう
  に覚える。いまアメリカンの知る
  日本は、嘗ての陳腐な日本ではない。日本人よりも日本の地方に委し
  いんぢぁないかとさへ意う。それだけ日本のメディアが陳腐化してし
  まった。ナニが報道に値するのか、印刷に値するのかを見失ってしま
  った。であるなら新聞が売れなくなり、テレヴィが危機に陥るのは自
  然なる帰結だろうと考える。
   そういう意でも、アメリカのジャーナリズムは健在だと意うのだけ
  れど、やはりミッチャム編集長の談ではないが、「一行の見出しと写
  真でニュースを判断してしまう」世の中に至ったなかで、事実とは何
  であるか?。詰まりあらゆる角度からの検証に耐えぬいた事実を確認
  する作業とは、凡そ人の意識状態のものであるから、その意識状態が
  このような状態であると、極めて厳しいものがこのアメリカの健全な
  ジャーナリズムでさへも、と付言して置きたいのだけれども、察する
  に剰りある。しかし、NEW YORKERの読者層は殖えているのだから
  そう諦めることもない。人は高品質な情報を欲しているのは明らかだ
  ろうから。そう思うと、俺もシェルパの気持ちで、高いけれども、募
  金の積もりで来月からの引き落としにも泰然として置こう。
   日本では北朝鮮はメディアの救世主。北朝鮮樣様である。報道もワ
  イドショーも、完全失敗したTBSのワイドショー・ニュースも。俺
  から見ると努力を完全に怠っているように意う。相も変わらない、危
  険、重大、脅威の連続語。がしかし、その危険、重大、脅威といった
  言葉を反復するなかに、ではどうした策なり対応が必要かというと、
  制裁か対話。まぁ出て来る登場人物も大した者たちぢぁなく、出演料
  とか個人的な知り合いかなんかで出されてるらしく、ただダベってい
  るだけ。それはデジタル上でもまったく同じなのだけれども。
   俺だったら、ル・モンドだったらル・モンド、シンジケートである
  パキスタン、イラン、ベネゼェラなどの専門家に違う視点から見た、
  こうした情況であるとか、そういう切り込み方をするけれど、そうし
  たこともない。分析する力が終始に偏って硬直化してしまっている。
  「まぁそんなもんだろう」的な悪癖が蔓延って久しいし、それにがん
  じがらめだ。自分たちの給料が削られるとなると高い分析力とか闘争
  心を漲らせる───。これぢぁ本末顛倒なのだ。だから俺的提案は、
  新聞なら新聞、テレヴィならテレヴィは、もう正社員制をそれこそ廃
  止して、経営部門を除けば全員個人契約(フリー契約)にした方が可
  いとさへ意う。契約記者の質の高さによっては正社員化する。それぐ
  らいしないで「困った、困った」ぢぁ話にもならないだろう。そうい
  う時が間もなく来るとしたら、今のジャーナリズムの危機もまんざら
  捨てたものではないとも意う。

   それにしてもやっぱり高いかぁ───。-:-;;

                          - 了 -