
"ミスター。これはちょっと───"
"サーヴィスが難しいんですか?"
"いや、これがウォーキー・トーキーの初めてなんだって、私も見る
のが初めてですから、ちょっと、びっくりして───"
"無理ですか───"
"いえ、そんなことないと意いますが、これはちょっと上に訊いてみ
ますね。たぶん可能かとは意います。むぅん、これが無線で飛ばす奴
だったんだぁ───"
今朝は久しぶりの頭痛(思えばこの8年余頭痛などなかった)で、
身体は重く、しかもナニをするのも億劫な朝なので、書き出しもいつ
もより増して、ぼんやりしている。
俺はいまセルを4つ持っている。民生用移動電話の最初の奴(簡単
なベンチプレスには最適)、モトローラ2機に、iPhone。ずっと民生
用セルを使って来たのだったが、昨年末に充電池のほうがもう寿命ら
しく、今はインテリアの一とつになり、モトローラの1機は箱のなか
に久しく眠ったまま、iPhoneはファミリー・プランで買わされたの
だけど、俺には無用の長物でこれも置物にしかなっていない。なので、
モトローラの、やっとモノトーンの表示からカラーに変わった最初の
モノを使っていたのだけど、このタッチの操作が、小さ過ぎて、俺の
指にはまったく合わない。だから、眠っているモトローラに再々登板
を願おうと」(以前は一時的に使っていたが)、スプリントのショッ
プに持ち込んだ昨日の会話が冒頭のそれ。
NEXTEL i1000。
それまではStarTACというセルラーフォンの記念碑的な傑作(まァ
契約も$1000もしたんだけど)を使っていた。あの時代は雑音は
多いし、どこでも使えるものでもなかったし、誰もがセルを持ってい
る時代でもなかったから、コールされる、コールするは緊急事態以外
には有り得なかった。それがセルラーフォーンの原点だと、俺はいま
でも思っている。それはセルラーフォーンの登場に立ち会った人々の
胸中にはどこかに「電話ってナンなんだろう」という意識を共有する
ように意う。時節がどう変化しても。
StarTACはそれから、蒐集の対象になって(今はどうか知らないけ
れど)、破格の値段で譲って欲しいという人が居て、譲ったのだけど
それに替わって求めたのが、このNEXTEL i1000。
デザインも気に入ったし、使い勝手も未だに色褪せていない。タッ
チも間違いはないし、いらいらすることもないし。電波もすこぶる強
く、雑音もない。そしてこのセルでサン・フランシスコへの5号線を
ひたすら疾走していた時。そこは家もないただ存るのは、無限に拡が
る空と、平原のみが続く大地なのだが、突然にコールを知らせるシグ
ナル。なにかの間違いではないかと、取ればなんと外国からのインタ
ーナショナル・コリング。吃驚したのだったが、後で調べれば、サー
ヴィス・エリア外には、無線にチェンジして電波を送り拾うというサ
ーヴィス(オプション)だった。その雑音のない、明瞭でいまそこに
相手がいるかと意う会話の数十分は今も忘れられない。この大国アメ
リカならではの話になってしまうけれど。そしてこの機がいたく愛用
するかというと、ウォーキー・トーキーが絶妙だったから。コールが
ある、コールするにしても、一とつスイッチを叩けば、電話を持たず
に相手と話ができる。これは画期的であって、母屋とゲスト・ハウス
を結ぶ、ラジオのような感覚で使用できることだった。これももまた
記念碑的な傑作だろうと意う。
その傑作がまた甦れそうだ。
電話は話すために、
電話は用件を伝えるために───。
ただそれだけなのは俺の場合言うまでもないけれど。
- 了 -

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