Tuesday, May 26, 2009

右脳も左脳も要求される -第二次核実験-



   旧聞には属さないが、日本で物議を醸した元軍人が、「左にか脳味
  噌が詰まっていないんだろう」とリベラルな人々を揶揄したことが有
  った。それが妥当かどうかは兎も角として、その発言を知った俺はの
  感想は「こんな軍人に戦闘指揮は希むべくもない」という感想と、そ
  の人物に傾倒する軍人が日本には多いことを聞き「これぢぁ大戦前の
  日本の愚かさから一歩も学んではいないではないか。地下の司馬さん
  も『見なくてよかった』の心情もよく判る」だった。その意味なら、
  日本には戰争遂行能力(=総力戦能力を含め)、策戦立案、分析、そ
  して決断といった能力に著しく欠ける軍隊と指揮官を喰わしていると
  いった事でもあり、或る意味で、仕方ない保証金の積み立ての気がし
  ないでもない。これは見方によってまた違うけれども。
   俺的な体験で言うと、軍人は右にも左にも脳味噌が詰まっていれば
  詰まっているほど優秀な軍人であり指揮官である。先の日本の軍人は
  彼の論法に習うなら「右にしか、しかもちょっとだけ脳みそが存る」
  にしか思えない。こんな軍人に国防の第一線を任せることは、それだ
  け平和であるという証左のように意う。戰争というものは、勝つか負
  けるかの場であって、そこにはイデオロギーなぞは凡そ無用な、それ
  でいて判断を誤らせる一等避けなければならない。それがアメリカの
  軍人としての在り方であって軍人養成の哲学。勝利する為には、あら
  ゆる方策、あらゆる詭計、あらゆる能力が動員されて、初めて戰争と
  いうもの、戦闘というものの彼我の力関係の膠着を突破することが可
  能になる。
   最上のアメリカの軍人というと、尊敬を込めてコリン・ルーサー・
  パウエル大将と答える。軍人一筋の氏の歩みそのものにも、数多の名
  誉(日本からは勲一等)、そして国務長官としての官僚としての能力
  ───アメリカンいろいろな人物に我がアメリカを仮託するのだけれ
  ども大将もその一人であることは言うまでもない。大将がオバマ候補
  を支援したのも、卓見した軍人として鍛えられた合理主義的精神。即
  ち国の命運を誰に託するが妥当であるかの、軍人的判断力からのもの
  だったとも言えるだろう。



  「パウエル氏は、とうに党から離れていると思いますがね。私は彼が
  まだ共和党員か知りませんけど」


  「チェイニさんは誤解してるんぢぁないでしょうか。私はまだ共和党
  の一員ですよ」

   いま共和党は内部分裂の様相を呈している。それはチェイニーに代
  表される、その娘が言うところの「保守主義は保守主義である」とい
  う、究めて退歩的な、メーシーズ的な論法の側と、大将に代表される
  、彼自身が問う「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤
  りの分岐点を見極め、そして如何なる方向に進むのか」という、保守
  そのものの総点検と再生を訴えている。共和党内部では、チェイニー
  側はローヴ元大統領上級大統領顧問が、大将側は、リッジ元国土安全
  保障長官が、中間にはギングリッジ元下院議長が───という構図な
  のだが、当のローヴ氏さへ大将には戻って(ブッシュ政権全面支持)
  欲しい、アドヴァイスが必要だとも語っているから、そこも俯瞰して
  図面を拡げて見ると、チェイニーと「狂った連中(ネオコン)」だけ
  の四面楚歌ということなるだろうか。「保守主義は保守主義」と娘は
  父を代弁するけれども、今、我々リパブリカンが再設定しなければな
  らないのは、この我がアメリカの歴史的な地殻変動的な変容にどう応
  じるかなのだと意う。ゲイである娘が「保守主義」と言うからには自
  らがThe Holy Scripturesに照らしてどうかを考えて見ただけでも、
  その保守主義が合理性を失っているではないか。その意味ではチェイ
  ニー氏には悪いが、彼もまた「右半分にしか脳みそが詰まっていない
  」と念はざるを得ないし、彼の発言はまた歴史と時代が変わる時に生
  じる人とその発言のように念う。


   北朝鮮の第二次核実験。
   直感だが箇条書きに遺して措くとする。

  ■北朝鮮がグラスの水を大きく揺さぶる

   ▷日本の雰囲気の微妙な変化
   ▷韓国内の動揺のなさ
   ▷ワシントンの対アジア外交の不稼働への督促状
   ▷中南海の困惑
   ▷クレムリンが中立であるのかどうか
  
  直感としては上記の箇条的なもので、この核実験は、言わば督促状の
  ようなものだと意う。恐らく、北京が態度を硬化することも、各国の
  態度が硬化することも完全に想定した上での、核実験だった。それで
  も膠着した情況を打開するには「グラスの水を揺らしてみる」。これ
  が戦術の要締であるから、北朝鮮の動きは、外交術からして当然も当
  然だろう。後はどういう変数が生じるかを見極め、第二、第三の手は
  姜錫柱外務第一次官とそのタスク・フォースが練り上げているに相違
  ない。不意打ちはどたばする人間が、浮き足立つ。しかしその不意打
  ちの中身によっては、人と人は利害関係ですったもんだりするように、
  国と国も同じく、すったもんだすることを見越している。それでも動
  かずば、戦前の日本ではないが「連盟よさらば!の手も存るだろう。
  北朝鮮の故金主席をして「我々は戦後50年も、事実上の制裁を受け
  てきたようなものだ」と語った、その言葉に、北朝鮮の力というもの
  を俺は視ている。あちらの経済は、制裁が前提の経済体制を構築して
  いる訳だから、最初から西側の論理が使えない。つまりこう問うとす
  る。

  「貧しくて自由がないなんておかしいですよ?そうじゃありませんか
  ?」
   彼等の多くはこう答えるだろう。
  「大御心の意を体して、貧しくとも国を守る」と。

   日本の戦前はこのような世界で一色化されていた、その歴史を分析
  すればそれで北朝鮮に人心はどこにあるか、「生きて陵辱の辱めを受
  けること勿れ」という軍人勅諭も、実は北朝鮮に受け継がれているこ
  とも理解出来る。そういう体制と生きる人々に、制裁を幾ら課したと
  ころで事態は何ら変化しないのは言うまでもない。ましてや、敵地攻
  撃論なぞは北朝鮮の希むところであり、それこそ、中国・韓国・台湾
  ASEANが一致して日本を警戒させることになるのも計算の上であろ
  う。しかし、高く評価したいのは麻生首相である。これまでの宰相は
  外交的詭計を使ったことがない。それか安倍のように子供の火遊びの
  ような「ごっこ」でしかなく、老獪な発言というものを日本の宰相か
  ら聞いたのは久しぶりである。その意でも、麻生発言は高く評価した
  いし、外交は能動的でなければならないを宰相自ら体現することに留
  意している。ただ、日本の論調がこんどは逆だ。どれもこれも腰砕け
  なのである。あれだけの攻撃性を北朝鮮に発揮しながら、微妙に動揺
  しているのが、こちらから見える。実際、ここは日本人が中国なり韓
  半島に対する差別構造にも辿れるのだが、「大したもんぢぁない」「
  「どうせ玩具みたいなもの」「そんなもん作れる筈がない」「どうせ
  失敗したんでしょ」───色々な発言のなかに、差別構造を見いだす。
  ところが、そういう人々こそ事実が事実になると───どう変容する
  か。それは人も同じで、ただ畏れるのか、戸惑うのか、それとも靡く
  のか、そのどちらかしか選択肢が亡い。第一次核実験、そして第一次
  から先のロケット打ち上げまで、日本は「上から目線」であったよう
  に意う。それが、変化を起こしている。その変化も、いまは当惑の状
  態であるから、これからまた攻撃性に再転化するだろうとも意うが、
  相当変わってゆくだろうなと直感している。「上から目線」は変わら
  ずとも、「怖い者には巻かれろ」的な部分が出て来るかも知れない。
   被害者の会に「拉致」された日本外交にも変数が生じるのではない
  かも含めて。田原氏はそれを語っただけであるのに、袋だたきという
  のは、日本がいかに外交的能力を欠いているかが判る。それさへもち
  ゃんと計算想定内に入れている北朝鮮外交部の手腕と能力は、敵なが
  ら天晴であると俺は意う。
   そして、ここが俺的な見方なのだが、この「グラスの水を大きく揺
   さぶる」策戦には、ピョンヤンの隠されたメッセージが存るように
  考える。それは「もっとちゃんとした人間を話し合いに出て来ないと
  埒が開かないでしょう」だ。その意味するところは、我がアメリカな
  らアメリカの現北朝鮮担当者、日本でなら山崎拓ぢぁダメだ」という
  メッセージだろうと。詰まりは、夫々の国の対北人脈の交替を促して
  いるように捉える。オバマ政権にも麻生政権にも、そして中南海にも。
  とすると、彼等の奈辺がどこにあるか判ってくる。
   それは一括妥結式、トップでの手打ちだろう。それが北朝鮮では「
  ご聖断」になるのだから。それ以外には亡いのです、と主張している
  ように意う。日本にそれに相応しい逸材がいるか?それは日本が決め
  ることだけれども、なるべく私心のない人物。しかも、全権を委任し
  て信任たる人物───俺的には中曽根元総理が最適だと意うのだが。

  「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤りの分岐点を見
  極め、そして如何なる方向に進むのか」

   パウエル大将的な存在をいま情勢は必要としているように意う午前
  だった。
                            - 了 -

No comments: