
破滅的な貪欲さで食べたのだけど、今朝の体重計ではまた減ってい
た。一体全体どうなるんだろう。過日の日記で「夜23時間以降にメ
シを喰えば太る」と謂う内容を書いたのだけど、太らない場合も存る
んだと意う。直、それは身体に某等の不都合を抱えている者のみであ
る場合に限って───そういう但し書きは必要だ。毎日、酢を3回飲
んでいる所為もあるのかなア───。
さて、この所の俺的なキーワードは、「意志としての身体」という
ことば。
どういう意味かと謂うと、究極の意志の表示は、身体でしかないとい
うことだ。怒りであろうと希望であろうとなんであろうと、最終的な
自らの意志といったものは、身体で以て発することなしに意志は表示
することは出来ないということ。
テヘラン
ベルリン
テル・アビヴ
カシミール
ウェスト・ハリウッド
シャンハイ
ソウル───
だが、司馬遷ではないけれど(「人には一死あれども」)、この意
思表示を一緒に双べることはどうも出来ない、そういう気がしてなら
ない。まぁこういう会話になるとエドワードと熾烈な論争になるのだ
けれども、テヘランとカシミールの、不条理への怒り、そして自由へ
の希求。それは石礫を以て死を覚悟してのものなのだが、それと虚飾
なだけの、俺からすれば乱痴気騒ぎのなにものでもない、組合系の「
やれマイノリティだの差別だの」の笑顔のパレードなるものに反感を
感じるのは、少数ながら組合系にもいるし、カリフォルニアならカリ
フォルニアの多くの人々が、同性婚反対になるのも肯首できる。しか
もだ。合法的な州憲法改正は歴記とした、合法的な投票で可決された
にも係らず、それは認めないと暴論し、挙句の果てには、動かないオ
バマはダメだとなる。これこそ不条理そのもので、多くの人々は胸中
に石礫を握っているのに気づかず、明けても暮れても女装と裸体のパ
レードだ。あの乱痴気ぶりと、一身をかけて不条理に石で向かう人々
は同じではない。
ただ物事には廿重・三重の複雑な意志が込められている場合も多い。
特にテル・アヴィブで組合系がプライドがここ数年可能になったのに
は、当局の意図が働いていると意う。それはイスラームへの対決姿勢
を煽るための道具として。御存知のように、イスラームでは同性愛者
は死罪だ。宗教上、最も赦されない罪の行為だろう。それはヘブライ
教もまったく同じなのだし、イスラエル内部の多くは、このプライド
は苦々しい念いで視ていると意う。だがしかし、イスラームは人でな
しであり、イスラームは野蛮であることを主張する見せ物としては、
プライドは好都合なのだ。決して赦しはしないが、イスラエルという
国とその制度の優位性(全く優位性はないように意うけれど)の為に
利用し、また脳天気に進んで利用され、ほんとうにマイノリティであ
って差別されているなら、パレスティナの人々との連帯を謳っても可
い筈なのにも係らず、それらを排斥したばか騒ぎに堕している。
イランについて謂えば、我が国の論調は、一とつには当惑、次にム
サビ支持の空気だ。先ず当惑というのは、イランでデモが起こるなぞ
とは夢想だにしなかったからだ。アメリカンにとってのイランとは、
ホメイニ師と大使館人質事件の印象(カーター時代の倦怠感と等符号
で結ばれている)が非常に強く決定的で、その後のイランを含めて、
不可触なイスラーム専制支配の国───そうした刻印であるから、先
ずこの騒擾をどう受け止めれば可いのか、躊躇してしまう。時間を数
日経て、この両派の対抗が抜き差しならないことを知ると、ムサビ支
持へ傾き始めた。しかし、ここに大きな認定の間違いがある。それは
オバマがいちばんよく知っていることは、ホワイトハウスのアナウン
スでも微妙に判るのだけれど、これは何の対立なのかとなると全く違
って来る。写真を視れば一目瞭然で、大統領側もそして元首相側も、
揃ってスピーチの後景には、ホメイニ師とハメネイ師の両アヤトラ(
最高領袖)の写真がある。これだけでも、双方の対立は、およそ国内
問題に関しての路線の違いだ。詰まりは、イスラム法曹、革命防衛隊、
民兵に専制されたシステムではなく、より広範囲なバザール商人層な
り新しく擡頭する新世代なりの声との対立なのであり、創業の理念と
してのイスラームの下での平等社会が出来ていない、国内矛盾の表面
化だろう。日本でも間違った報道がされ始めているから一言して置く
と、北朝鮮とイランとのミサイル開発に大きな役割を果たしたのは、
外ならないムサビであること(1982年随員として初訪朝)なのだか
ら、この対抗を、イスラーム体制かはたまた自由かと捉えると、事の
真意を誤らせるに十分だと意う。過ちは繰り返される───だ。
そして若し過ちを犯すなら、騒擾のなかに暴走者が発生する。「私
の投票はどこへ?」のスローガンは許容範囲だが、「自由が欲しい」
のスローガンを誰かが叫ぶとすれば、これこそ、国家内乱陰謀罪が発
動され、対抗は一巻の終わりとなろう。振り上げた拳をどう収めるの
か───。非常に難しく、最終的にはアヤトラの裁定が必要になるの
だと意うけれども、イラン・イスラーム体制のなかで起こったこの声
は、大きくイランという国に微妙な影を落とすことは謂うまでもない
と意う。
世界の地殻的変動は大きなうねりになり始めたように意う。触れな
かったけれども、カシミールが動かす力、それは石礫を握りしめて向
かう、空拳徒手にも似た意志が、インドという国を大きく揺るがすか
も知れない。ソウルでのサンヨン自動車のストライキや、ベルリンで
始まった高校生による教育改革の直截行動が、なにかを変えてゆくか
も知れない。それらの「意志としての身体」が、世界で瞭原の火のよ
うにうねり炎が拡がってゆく。
世界は完全に流動化の事態へ入っていっているように意う。国でも
なく、体制でもない、個人の意志の身体がそうさせてゆくンだろうか。
- 了 -

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