Sunday, June 14, 2009

No More Copy




   父からひさしぶりに電話が有った。母の病気見舞で会った切りで、
  お互いに用もない訳でもあって、電話で会話するのは半年以上ぶりだ。
  我が家は用がない電話はしない───これは兄も弟も自分の世界では
  どうかは知らないが、家族内であると規律を遵守しているんぢぁない
  かと意う。俺よりは電話しているだろうけれど。
   祖父や父からはいろいろと影響を受けた。なかでもJazzはその最た
  るもので、我が家には相当量のレコードは有り、また夏前になると一
  枚一枚のレコードを洗浄機にかけ、叮嚀に磨いてはまた倉庫に終うと
  謂う、日本で謂うなら正倉院の管理にも似た、行事は毎年この時季の
  ことだったし、故サラ・ヴォーンのブルーノートに連れていかれたり
  、子供のころからそういう雰囲気のなかだったし、自然とそれらの音
  楽を聴いていたから、ハイスクールの時にはもう自分は自分のJazzの
  小世界や、そこから触手を伸ばしたキューバンなんかにはまっていた。
   そして俺から父に与えた影響も有って、それはクルマだった。父は
  「クルマはスニーカー」という人でもあり、まったく興味も関心もな
  かった訳だけれど、人生の中葉を過ぎ、果たして初老の域になった時、
  あれほど「君はクルマ持ち過ぎだよ」と理解し難さ風に対していたの
  だけど、いつだったから「君の持っているビューイックいいね」の第
  一声から始まって、自分でも歴史を調べたり性能も徹底して調べ上げ
  れば増々、欲しくなったらしく、まぁ、どこで人は忘れていた子供の
  頃の憧憬を叶えたいと希うか判らないものだと惟うけれども、あれだ
  け、俺を「変な人」的に終始していたから、直截には云えなかったら
  しく、母や祖母を介して、「譲ってくれ」という商談を持ち込まれ、
  トランスミッションを直したばかりだったけれども、格安ならぬタダ
  で譲らざるを得なかった。今から思えば、夫婦で謀議を凝らしていた
  のかも知れない。それからの父は、出身は理工系でもあるから、俺よ
  り急速にクルマをいじるようになり、リペアは殆ど自分でする迄にな
  り、洗車法は俺の指南を拒んで、自分でも「彼よりは私のほうが上だ
  」と自慢しているらしい。そんな事は亡い筈ではある。
   その父からの電話は───
  「部品がね、もうディーラーにもないし。eBayで見つけては集めては
  いるんだけど、そっちのほうで知らないか?」
   と、云う内容だった。父は万全を期す。彼の正格なのだがなんでも
  先手、先手なのであって、それでないと不安に陥るようだ。
  「そうですね、クラシックなら純正でなくても世界に山ほどあるンで
  すが、97年でしょ?。クラシックでもないし最新でもないですから
  、なかなかこちらでも有りませんよ。あなたも御存知かと意いますが、
  これから果たして趣味のカテゴリーに入ってくるかどうかも難しいン
  ぢぁないだろうかと意うんですす」
   と、答え、出來るなら新しいクルマを購入してはどうかと打診した
  ら、まったく温厚というか祖父の存在が巨大なものだから、まぁ秀忠
  のような人でもあって、怒ったことは見たことがない人の口調が、微
  妙に変化をし、
  「君ですね、そうは云うけれども、あのクルマの乗り心地を知ってい
  るでしょう?。もう出ませんよ、ああいうコストを考えないで作った
  クルマは。最後のアメリカらしいアメリカのクルマです。そういうク
  ルマを買い替えろなぞと、よくもそんな事が云えますね」。-:-;;
   確かに父の云う通りで、1996年でGMの時代は了ってしまった
  んだろうと念う。


http://www.youtube.com/watch?v=33oiGqUsGvI&feature=channel_page

   アメリカ車というのは、日本車と比較すると設計の段階で違う。先
  ず、図面を引く時、アメリカ車は中央にドンと座席を置く。そして乗
  り、脚を伸ばして、手を伸ばして、その空間を決めてから、外の四角
  に向かって線を引いてゆく。それがフルサイズになる。日本車はそう
  ではない。政府の小型車枠規制の時代にクルマが誕生したことも影響
  しているだろうが、先ず枠を決める。そこから線を内側に向かって引
  いてゆく。丸で発想が違う。それは今でも色濃く、クルマに残存して
  いるのが判るのだけれど、エンジンも車体重が大きくなれば相当なエ
  ンジンを積む訳だし、小型車枠ならほどほどのエンジンになる。デザ
  インは簡潔明瞭。長く・広く・低くの黄金律が絶対だから、アメリカ
  車の外観は、非常にシンプルだ。日本車はまた違って小さいものを大
  きく見せなければならないから、デザインはメリハリを付けないとい
  けなくなる。それらが今日の、アメリカ車と日本車の帰結になってい
  るように意う。企業の命運も当然、そこから導出されている。
   ただ、アメリカ車が世界で一等であり、誰も真似出来ないことがあ
  る。それは乗り心地だ。サスペンションということになる。
   このサスペンションはコストとしては可成りの経費を計上しなけれ
  ばならない。だから今の時代、「硬めのセッティングがトレンドでし
  て」なんて云う自動車企業の人々もいるし、オーナーでもそれを自慢
  する人もいるけれど、俺からするとそれは真っ赤な嘘で、実は「コス
  ト削減しちゃいますと、乗り心地はそれは悪くなりますよ」の、コス
  ト最優先の結果を繕うだけの詭弁のように意う。フェラーリやポルシ
  ェといったスポーツならそりゃ硬いセッティングで当たり前だが、そ
  れ以外に「硬め」の乗り心地なぞは、不快感だけしか覚えない。コス
  トを削りに削る日本車で若し、絶妙な乗り心地のクルマを作ろうとし
  たら、それはもう割に合わないことになってしまう。ホイールベース
  を長く長く採らなければいけないばかりか、父のビューイックのよう
  に、堅牢なダンパーに廿重のスプリングにエアサスペンションを驕っ
  たものは、領域外。昔の会話で云うなら「だったらキャディラックか
  リンカーンが宜しいかと意います」とディーラーのセールスマンは宣
  うに相違ない。俺はシトローエンにも乗っているし、世評は「宇宙船
  」だと云うけれど、実はアメリカ車のほうが乗り心地では圧倒してい
  るように意う。シトロエーンの創業の夢は、アメリカ車だった訳だか
  ら、やはりクルマに重度の制限が課された彼の国で、あの乗り心地を
  どうしたら実現出來るか───それがハイドロニューマチックなのだ
  ろうと、双方を乗って確信に至っている。
   それもこれも我が国が、圧倒的物量を誇る国だったから可能であっ
  たのだろう。丈夫で壊れず、どこまで乗っても疲れず、アクセレート
  を踏み込めばスッとクルマは余裕で加速して、室内には強力なエアコ
  ンディショナーとソファのような座席。そしてラジオ。ステアリング
  は指1本で6メートルに近い巨体を操れる。乗り心地は一度味わった
  ら外には乗れない。『みかわや』や『近藤』で天ぷらを一回知ってし
  まったなら、それはもう舌が覚えていると同じく、「こんなクルマが
  あったのか」と念うだろう。それほど素晴らしい。
   父がビューイックを欲しかったのも、そして大切に乗ってい、また
  これからも乗り続けたいのも、あの我が国の素晴らしい時代に、父が
  戻ることは叶わないまでも、ゆったりとクルマを動かすなかに、あの
  時代を身体で呼び戻しているのだろうと意う。

   クルマが売れない。
   数字だけを見ても危機的だ。

   先月の統計では、販売台数が前年比で乗用車が、-36.06%、ライ
  ト・トラック(アメリカならでは)が-27.02%。全体比で-33.07。
  メーカー別は:

  GMが-29%
  フォードが-24.01%
  トヨタが-40.07%
  ホンダが-41.05%
  クライスラーが-46.09%
  ニッサンが-33.01%
  現代が-20.04%
  ヴォルクスワーゲンが-12.06%
  起亜が-16.01%
  BMWが-27.06%

   の数値で、これは市場占有率でも評価が違うという以前のそれを突
  破して、尤もクライスラーはその車種体系からして予想された数次な
  のだけど、小泉・竹中路線で輸出頼みに化した日本製。しかも主力の
  クルマがこの数次だと波及してゆく影響は推して知るべしだろうか。
  それを如実に示すのが、最も売れたクルマと最も売れなかったクルマ
  と、落ち込みが酷い車種で:

   最も好調だったのが、フォード・フュージョンの+9.4%。最も不
  振なのがホンダのシヴィックで-61.10%。続いて、カローラが-54.
  04%、アコードが-48.04%、アルティマが-46.05%、フォード・
  フォーカスが-53.09%、カムリが-38.09、といった具合だ。
   ハイブリット車種と競合するこれらの車種の落ち込みが酷く、近い
  将来には全面的に廃されるかと念うけれども、だからといって落ち込
  み分がハイブリットに流れているかと云うとそれはそうでもない。家
  族一人一人に1台のクルマが一般的で、複数所有の家庭が通常のこの
  国では、1台か2台は減らすか、購入しない───そういうライフ・
  スタイルの変更が進行しているように、近所を見ても意う。また、ど
  うせ購入するなら、売却価値を有するクルマ。詰まりはブランド力が
  有るレクサスかドイツ車に一斉に向かう。そういう意味では、高級車
  市場の打撃はそれほどではなく、Bセグメントと喚ばれる中上級そし
  て大衆車の地殻大変動が、アメリカ社会の価値観の様変わりをそのま
  ま反映しているのだが、過剰な在庫を抱え込んでいると見られる日本
  勢の体力が可成り怪しいように意う。
   そして父のような1980年代後半から1990年代中葉くらいのクルマ
  を求め乗り始めた層が未だ未だではあるけれども、殖えている。

   GMとクライスラーの決定な没落の原因を求めるのは容易いし、ワ
  シントンの資本注入がどれほどの効果を上げるか、フィアットによる
  事実上の吸収の先にある両社を見ても、俺も悲観的なのだけど、起死
  回生があるとすれば、自動車で生きるという前提として、やっぱり、
  述べた往年のクルマ作り。堅牢で長距離でも疲れを知らず、デザイン
  はシンプルなもので、乗り心地が群を抜き、そして環境に対応する、
  そんなクルマ作りぢぁないかと意う。詰まりは1台でぼろ儲けするよ
  うなそれを狙うクルマ作りではダメだということになるかも知れない。

   きょうから父の熱情に応えて、部品手配に走ろう。
                            - 了 -

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