Tuesday, July 21, 2009

▱ J A P A N ▱



          ▱ J A P A N -「経」か「実」か- ▱


    人が人生の問題のさまざまをその質を違えても反復しながら自らそれに直面し
   その時々の成熟さのなかで、亦、或は退嬰するなかに解決してゆくように、世界
   の諸国民の歴史もまた同いく、出來するあらゆる質を違えた問題を解いていかね
   ばならない。これが歴史が厳然とした史実を通して伝えるところであって、人び
   とはその自らの史実を通してのみ、あらゆる問題を解決することが可能になる。
   であるから、壮大な日本なら日本の史実の中に、似たような時代、似たような先
   達の思索そして決断と結果としての史実を、見究めることがなにより大切な作法
   だと念う。それが昨日の日本の国会解散と続く選挙に考えたことだった。
    与野党の主張、また宰相の所信表明などを読みながらもう一とつ感じたこと、
   それは、「経学なのか、それとも実学なのか」という、日本の歴史で繰り返され
   て来た問題を質を変じながらも、また日本の人びとが解かなければならないだろ
   うということでもある。経学とは、体面論、観念的な思想であって、日本の思想
   の一翼に存り、実学とは、その名の通りの実際学、現実論に拠って立つ一翼であ
   って、どちらもが歴史の要請に応じて、その主体を交互にして来たものと意う。
    戦前の明治維新の実学から、日露戦勝からアジア・太平洋戦争までの経学、そ
   して戦後の実学から、小泉から安倍までの経学。そして現宰相の所信を読む限り
   では、要請される実学に於いて、尚も経学を引き摺る印象を持ち、そういう視座
   から考えると、現宰相とその時代は、まさに過渡的なものであり、これから誕生
   する如何なる政府も実学がその出発点になる───そういう歴史の反復さをここ
   でも感じる。
    経学と実学が史実のなかで大きくクローズアップされた時代は、改めて述べる
   までもなく、律令体制の崩潰から新しい武家体制へと帰結する流れの中に、一方
   はその崩潰を食い止めるべく、そしてまた一方は、それに固執するのではなく、
   与えられた現実をどう処置するかの立場を鮮明にすることに始まる。前者は藤原
   頼長、後者は藤原通憲だと言える。この兩人が何を為したか、体制の崩潰から新
   しい時代へどのような役割を結果的にもたらしたかは、歴史の書を再読されれば
   と希うのだけれども、一言するなら、律令体制はさまざまな改良を希望しそれを
   実行したけれども体制崩潰と新時代の流れは何人も押し止められるものではない
   ということだろう。その意でも、現勢の日本は、あの律令体制の崩潰から武家時
   代へと続く時代に究めて近似していると日記で触れて来た。日本の人びとが、「
   右だ左だ」と言うのは、西洋の装飾の外装であって、実は「経なのか実なのか」
   なのだと意う。判り易く言うなら、「美しい日本」であるとか「日本を守る」と
   かいった観念的なことばに、経は現せるように考えるし、その源流は、中国の「
   春秋論(大義名分)に直線で結ばれるだろう。さきほども述べたのだけれども、
   日本という国が危機の置かれた時代、時代には、必ずその前の時代は実の時代で
   あり、実の時代の成熟から末に到ると、閉塞と危機の流れが強まり、それを代表
   する経が支配的となる。近時代相で観るなら、石原慎太郎から安倍晋三へと漲っ
   た、或る種の観念の時がそれに該当するもののように考える。言論の舞台では、
   櫻井よしこ、金美齢、福田和也、小林よしのりに表徴とされるだろうか。櫻井さ
   んはこの十月、このLAで「美しい日本」と題して講演されるという。その講演
   題そのものが、アメリカの現実そして日本の現実、世界の現実、そして展望とい
   った歴史、史実的な立脚点に立つ者としては、その使命を交替しなければならな
   い経というもののこの時代での末尾のタイトルのように感じてならない。
    律令体制の解体期の過程を委曲を尽して観ようとする時、その近似する社会相
   に、こんにちとの時系の大きな隔たりさへも覚えないほどに、等符号で密接して
   いるように、不断の連続のように覚えて仕方ない。
    時の朝廷(政府)は、マナリズムから脱することが出来ず、腐朽と弱体が顕著
   であり、安易無力な政となる。そしてその政府を構成する人びともまた、現実へ
   の対処法自体を構想出来なかったばかりか、然し、それは律令体制そのものが余
   りにも巨大であったからとも言えるけれども、衰頽する流れのなかにせめて成し
   得ることといったら、一種の美辞麗句なり経で飾る一種の粉飾を施すしかなかっ
   ただろう。その一とつに、先の日記でも触れた「意見封事」があるだろうか。ま
   た、「邪濫の僧侶」「堂衆」の跋扈は、こんにちの宗教団体の政治支配とも重な
   て見える。中には、小野篁や好吉といった、のちの「良二千石」と称される賢臣
   も出てくるのだけれども、それは体制の解体という歴史の既知の中に現れた、役
   割を担った人びとであった。

http://www.youtube.com/watch?v=6O3tANG7w3s&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=3cCY3auMCxY&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=GkUHzzP3Y2g&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=Vb8VipFGvxo&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=7FcuzYlsHTw&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=AVrWYfL8Q_s&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=tWCDlHfhe2g&feature=player_profilepage

http://www.youtube.com/watch?v=JLFaWuzgR5o&feature=player_profilepage


    ではここまでは経に偏して述べてきたが、実はどうだろう。まさに敗戦とそれ
   からの復興、そして高度成長からバブル崩潰までが、日本にとっては実の世であ
   った。バブル崩潰が、戦後の帰着だとすると、勿論、経が出てくる。然し、人び
   との生き暮らすこと、国も然しだが、常に実を用いなければ経営することは困難
   なのである。が、しかし、この局面に於いて実が立ち現れていない。否、もっと
   精確にいうなら、大きな主体に成り得ていない実相が存る。個人的には、寺島実
   郎、内橋克人、金子勝、宮本太郎といった経済の実なる人びとが強い一方で、日
   本の巨視的な実は、佐藤優、若手では萱野稔人といった面々であるが、実への先
   進力というと、主体としては未成熟なままではないだろうか。歴史は実を要請し
   ているのだが、また実が、史を重んじ、そこから見抜く力を持つ、人材と主体を
   要請しているのだが、それが日本の解体期が、あの律令体制のそれとは質を異に
   した状態であって、その解法を日本の人びとが為さなければならない、考えねば
   ならない問題だと言えるかと意う。
    僕自身は、経を否定するつもりはなく、実に殊更に偏する者でもない。史実は
   そうした牽強付会を排するものであり、歴史もそれらを排除する。この双つは史
   のなかでそれぞれの役割を担う立ち位置である。ただ言えるのは、主役交替の時
   なのだろう。そういう意では「美しい日本」誰もが判っている。では、その「美
   しい日本」が危機的であるなら、観念ではなく体面ではなく、実なのである。実
   が有って経が存り、経が有って実が存る。この過渡期のなかで、実を鍛えなけれ
   ばならないし、それは歴史の要請だと意う。歴史の要請の前には、如何なる立場
   であれ、主役は交替せねばならない。それが史であるのではないだろうか。
    それをいちばんよく知っているのは、意識的にせよ無意識的であるにせよ、他
   ならない日本の人びとだろうと意う。

Tuesday, June 30, 2009

人而無儀、不死何爲



   昨日の診察で、心的腰痛と診断された。まぁ精確を期すと、そうし
  た診断はしないのだけれども(外科的な原因はないから=心的だろう
  という診断)、まぁ、とにかくストレスを回避するように───との
  なんとも頼り投げなものだった。とは云っても、「もしや癌」とか色
  色考えてもいたから、胸を撫で下ろしては居る。
   そして昨日は、もう一つ、語らなかったが、あの融資夫婦の開業す
  る焼肉レストラン(「東□カルビ」という名らしい)のプレ・ダイニ
  ング(招待試食会)の日だったようだ。此の夫婦とその後背に控える
  某宗教団体との経緯は、過去の日記に委しく記録されているけれども、
  前日までに思念していたのは、寝返りが誰なのか、その人数を攫むこ
  とだった。自分の身は自分で護る───。これはアメリカンの生きる
  大原則で存る。内部にエージェントの連絡網が存るから、今晩にでも
  も、その全貌は判明すると意う。そして、時季を見計らって、クーデ
  タの蹶起日を定めなくてはならない。勿論、首謀者は俺。
   内部で働く人びとが我が家へ連絡を寄越し始めたのが先月。牛馬の
  ように酷使され、日頃の感謝のことばも一切ないというこの夫婦への
  反目は、予想以上に高く、また連絡を寄越す人びとも、人柄としても
  給料などは二の次で、お店の為に一生懸命に働いている人びとである
  から、この際、蹶起に参加する人びとの、後の就職先は、俺が一切引
  き享けることにし、一昨日まで、受け入れ先と水面下で折衝していた
  のだった。それも腰痛の原因の一つだったように意う。

          相鼠有皮、人而無儀、不死何爲

   詩経の一節で、どんな鼠を見ても、ちゃんと鼠としての皮があるで
  はないか。人には人としての礼儀・威儀がなくてはなるまい。人とし
  ての威儀がないくらいなら、そんな人は死んだ方がよろしい。

   自分にも言い聞かせなければならないのは当然なのだが、あれだけ
  の協力そして助力を惜しまなかった俺なり悪友なりに、仮令、敵対す
  るにしろ、不和であるにせよ、招待状などは勿論不要だが、「お陰さ
  まで□月□日に開店の運びとなりました」の一筆くらいは、第三者を
  介しても爲すべき礼としてあるべきではないかと意う。それが大人な
  んではないか。日本ではどうか判らないけれども、俺はそうのように
  意う。月に$4000を以て、助け、母親の面倒を看、経営からメニ
  ューまで相談に乗り、はては国際たこやき旅団まで投入して、危機の
  経営の最大支援者として、憎まれ役を引き受け───。感謝しろとは
  希はないしそんなものを享ける積もりもさらさら亡いが、こうした人
  を人と思わぬ夫婦の所業は、先の従業員の総反目の動きと符号するも
  のだと意う。

   蹶起の数にもよるけれども、一等欠かせない人物が既に、呼応して
  いるというか、自ら蹶起に同意しているから、それだけでも、開店の
  第一歩で、甚大な打撃を加えることが出来よう。まさに「桶狭間の一
  戰」だ。蹶起の際は「俺の名前を出しなさい」と伝達してあるから、
  開戦の宣戦手交も万端。なぜ敢て宣戦布告をするか───それは、あ
  の夫婦の親。詰まり名義上の社主である、母親からの、脅迫メールを
  世に知らしめる必要があるからであって、紳士的に秘すれば、あちら
  の思う壷であるからだ。一切を公表すれば、「地獄へ堕ちなさい」な
  る、某宗教団体のおぞましさを白昼化、視認化することが出来ようと
  云うものだ。
   好都合な事に、昨日は我が国産牛肉の細菌発生と回収の報が明らか
  にされ、スーパーからは当該の肉の回収も確認済み。人心への影響か
  らも、当分は焼肉なるものは避けると送像すれば、彼等は出鼻をもう
  挫かれているから、第二撃。源田実氏のハワイ策戦での、南雲長官へ
  の意見具申に存る、

          「攻撃ニハ反復ガ必要デアル」

   とだとすれば、第二撃、そして第三撃を準備しなければならない。
  ましてや、彼等は自らの弁明めいたものを、あちらおちらでフレーム
  ・アップしている情報が達しているから、それではこちらが殺られて
  しまう。これも俺の因果な人生なのだと意う。
   そしてまた厄介な問題は、その牛肉細菌の余波。今週土曜のバーベ
  キュー・パーティーの中止を進言する人びとが現れた。万が一のこと
  を憂へての進言だと意うが、もう準備は始まっている。どうすべきか
  、直前で中止すべきか、それとも、急遽、まったく違うパーティーに
  宗旨替えすべきか、きょうか明日中には判断しなくてはならないこと
  になった。

   日々是決断。
   いや、疲れる。

                            - 了 -

Tuesday, June 23, 2009

彼は首をくくって、誰もいなくなりました




  十人の黒人の少年が、食事に出かけたら
  一人が喉を詰まらせて、九人になりました

  九人の黒人の少年が、夜更けまで起きていたら
  一人が寝りから覚めず、八人になりました

  八人の黒人の少年が、デヴォンの街を旅していたら
  一人が残ると云い出して、七人になりました

  七人の黒人の少年が、薪割りをしていたら
  一人が自分を割ってしまい、六人になりました

  六人の黒人の少年が、蜂の巣を弄って遊んでいたら
  蜂が一人を刺し殺して、五人になりました

  五人の黒人の少年が、法を学びに行ったら
  そこに一人が残って、四人になりました。

  四人の黒人の少年が、海に遊びに行ったら
  鰊が一人を呑み込んで、三人になりました

  三人の黒人の少年が、動物園を歩いていたら
  一人が熊に襲われて、二人になりました

  二人の黒人の少年が、大陽を仰いでいたら
  一人が焼け死んで、一人になりました

  一人の黒人の少年が後に残された
  彼は首をくくって、誰もいなくなりました

   少々長くなったけれども、今のアジアというもの、日本も勿論そこ
  に含まれ、大きなこの種の案じ方をするのだが、無為のままに、果た
  すかなその無為さ自体が無為ではないように錯覚したままの営みとい
  ったものが、乱世というこの今にあちらこちらで浮かび上がっている
  ように意う。中国、韓半島、日本、インド───。

   現宰相ではダメだという声もある。しかしナゼにダメなのかという
  思念なり一人一人の自分のことば、そして思考でもって答を出してい
  るのか甚だ疑問だ。そして出て来る名前は、石原だ小池だ舛添だ、果
  ては橋下だ東国原だ。これでは日本は終ってしまうと断言出来る。我
  が国を始め、先進諸国が揃って舵を、非市場放任の新しい形の資本主
  義を手探りで歩き始めているのにも係らず、前者二人は、掲げた旗を
  降ろせない、遅れに遅れて頓珍漢な方向へひた走っている方々だし、
  後者は、日本より自分という、思いつき・場当たりの地方首長たちだ
  ろうか。
   これらはこれから襲来して来る予測不可能なあらゆる自体への体制
  とそしてその人事から考えると最悪なる状況───と云ってももう過
  言どころか、そうならざるを得ないと意う。これもみなみな「今日の
  社会にはすでに狂いに似た異常性があるのに、人はいっこうに真剣さ
  と粘り強さをもって対しようとせ」ず「異常は実は世の全般にしみこ
  んでいて、全体が刻々沈んでいくのに、それに気づくことがな」い、
  と云う上田薫氏のことばに共振するのだ。氏は続けて、「史上にはひ
  どい乱世もしばしばあったが、その乱れぶりはその時の人びとにある
  程度見えていたのに、現情報時代のいぶかしさは、だれも大して乱世
  だとは思っていないということである。(中略)今の人間には解決へ
  のまっとうな夢がないのである。絶望しているかと思うとそうでもな
  いのに、結局先送りあなたまかせに事を尽きさせている」と、鋭い指
  摘をしてらっしゃる。つまり、デジタルのもたらすブラックホールが
  有って、すべての意識なり思索なり、そういった知がすべて吸引され、
  残るのは、個と個のつながりだけが辛うじて維持されている。究めて
  小さな小さな自分とその周縁だけが世界になってしまった───。で
  あるから、意識が社会に向うエナジーまでもが、身ぐるみ剥がされた
  状態に至ってしまったということなのだろうと意う。これは何も日本
  だけに限った話ではないのだけれども、日本に集中的に現れている気
  がする。氏は「『ほしがりません勝つまでは』。今老いはてのわれら
  はかつてそう言わされていたが、やがて一応敗戦が到来してくれた。
  このたびの相乗にははたしてどんな終わりがあるのであろうか」と、
  まったく光明の見えないトンネルに果たして出口はあるのだろうか、
  そして若しかするとその出口の先には光明ではなく、未曾有の崩潰的
  な事態が待ち受けているのではないかと述べておられるが、それをど
  うやって克服しなければならないかに付いて、それは「便利さを、わ
  が都合よさを自制しきれるところにこそ、人間の智の極めがある」と
  指摘する。「自制しきれる」。詰まりは踏みとどまる力なのだと俺は
  意う。この話で連想したのが司馬遼太郎氏の西郷隆盛論だ。司馬さん
  は西郷を評して、人は私の塊であるけれどもその私の1%でも可いか
  ら圧縮すること、それが西郷であると語った。俺流に言うなら、なん
  でも可いから、少し我慢して見る───そういう日常の態度というも
  の、携帯電話のメッセージのやり取りも、メッセージが来たから直ぐ
  同時的に返信を打つのが習慣化する怖さ───。その日常の風景は、
  「自制しきれる」なり「押し止まる」といった、すべてが破壊されて
  いる光景である。そうした人が生きうる上での、最も大事な物事がす
  べて滅べば、私の1%も圧縮しようなどという観念な起こりようもな
  いではないか。自分に対する疑問、自分に対する叱責、自分に対する
  律しよう───。これらのものが取り払われた時、人は他者に対する
  視座を完全に失う。存るのは自分だけになる。その自分も判らないか
  ら、制御は全く働かず、陽炎のようにさまよい飛ぶしかない。だから
  といって、人間はそもそもそんな陽炎の状態に心身が耐えられないも
  のだから、色々な悲鳴や罵声や闇雲な突進の仕方で、救いのメッセー
  ジを発するのだろうと意う。だがしかし、物事には多勢に無勢がある
  通り、社会のなかに、良識が多数であれば修復は可能だが、良識が少
  数に転じると、もはやそれは難しく、絶望的である。
   日本の宰相の首を何度替えたとしても、原状は変わらない許りか、
  更に、沈んでゆくだろうと意う。それに対処するには、制度的には今
  の日本の政治そのもののシステムを破棄しなければならないように意
  うし、それが為には47都道府県の独立国家化を先に提起したのだけ
  れども、最早、人びとにとって政治が、身体で感覚で感じない世界の
  ものでしかなくなってしまった制度。それを官僚のせいにするのでは
  なく、改革でもく、自分たちの身体で感じる範囲まで、政治というも
  のを戻さねばならないという趣旨でもある。私見では、もう日本には
  改革なることばさへ小手先にしか聴こえないし、それが果たせること
  は百%で不可能だと強調して置こうと思う。
   アメリカというこの国は、昨日決定された政策、昨日起こった公の
  出来事が、翌日には生活そのものに、直球で影響を及ぼす国である。
  であるから、納税者意識もそれは強く、政治参画の意識が究めて高い。
  政治そのものが、肉体的体感で捉えられるからだ。今更説明するまで
  もないこうした日常の状態が、人を精神的に強くし、自我の更なる発
  達と、それこそ自らの責任と権利の意識を高度な状態に保つことがで
  きる。
   
   昨夜は、日本へ永久帰国する日本人の青年の送別会をささやか乍ら
  主宰した。彼は9年、この国で学んだ好男子で、専攻は心理療法学で
  あり、これから大学院へ進む段になって、日本へ帰国しなければなら
  ない。その辺の事情を尋ねれば、日本におられるご両親が、もはや学
  資を送ることが出来ないことであるという。彼も早朝は、港の荷揚げ
  労働をし、夜はレストランで働きながら苦学する青年であって、すべ
  てを送金に依拠していた訳ではない。大変な苦学生である。日本人が
  世界の最前線で立つ。そういう意味では、日本では想像だに出来ない
  人種的苦労も含めて闘っている青年だ。携帯電話でさへ持っていない。
  クルマも朽ちた車を直し直し乗っている。しかし、ご両親は学資のも
  う援助出来ないこと、そして、逆に「私たちを助けて欲しい」という
  、俺からすれば、日本の親は決して子供に、そんな言葉を吐く存在で
  はないという思いが強いから、「日本は相当に酷いことになっている
  」と身体で感じた。彼のみならず、アメリカから日本へ帰国せざるを
  得ない若者たちが異常に殖えてい、彼のみならずそういう若者たちを
  さいきん富みに接する。これは日本の国力の衰退そのものだと意はざ
  るを得ない。彼等が日本へ帰国して、果たしてこんどは、アメリカで
  暮らした統べてを否定され、揶揄され、妬まれ───。もう目に見え
  るほどだ。
   俺はそういう日常的身体で覚える彼等の苦悩なり哀しみをして、日
  本というカタチの、ぼんやりした死の彷徨みたいなものをどうしても
  感じてしまう。死へのスパイラルであるといっても可い。

   十人
   九人
   八人───

   傍観とした日本という内が、どんどん一人、二人と、統べてのこと
  をただすげ替えたり、或は消去するだけに終始して、はや廿年。
   首を括って最後は誰もいなくなる。
   そういう気がしてならない。
   俺で出來ることはなんとかしようと念う。一人を助けられない人間
  が何が出来るというのか。であるなら助けねばならない。

                            - 了 -

Wednesday, June 17, 2009

たった二つの石ころ



   破滅的な貪欲さで食べたのだけど、今朝の体重計ではまた減ってい
  た。一体全体どうなるんだろう。過日の日記で「夜23時間以降にメ
  シを喰えば太る」と謂う内容を書いたのだけど、太らない場合も存る
  んだと意う。直、それは身体に某等の不都合を抱えている者のみであ
  る場合に限って───そういう但し書きは必要だ。毎日、酢を3回飲
  んでいる所為もあるのかなア───。

   さて、この所の俺的なキーワードは、「意志としての身体」という
  ことば。
  どういう意味かと謂うと、究極の意志の表示は、身体でしかないとい
  うことだ。怒りであろうと希望であろうとなんであろうと、最終的な
  自らの意志といったものは、身体で以て発することなしに意志は表示
  することは出来ないということ。

   テヘラン
   ベルリン
   テル・アビヴ
   カシミール
   ウェスト・ハリウッド
   シャンハイ
   ソウル───

   だが、司馬遷ではないけれど(「人には一死あれども」)、この意
  思表示を一緒に双べることはどうも出来ない、そういう気がしてなら
  ない。まぁこういう会話になるとエドワードと熾烈な論争になるのだ
  けれども、テヘランとカシミールの、不条理への怒り、そして自由へ
  の希求。それは石礫を以て死を覚悟してのものなのだが、それと虚飾
  なだけの、俺からすれば乱痴気騒ぎのなにものでもない、組合系の「
  やれマイノリティだの差別だの」の笑顔のパレードなるものに反感を
  感じるのは、少数ながら組合系にもいるし、カリフォルニアならカリ
  フォルニアの多くの人々が、同性婚反対になるのも肯首できる。しか
  もだ。合法的な州憲法改正は歴記とした、合法的な投票で可決された
  にも係らず、それは認めないと暴論し、挙句の果てには、動かないオ
  バマはダメだとなる。これこそ不条理そのもので、多くの人々は胸中
  に石礫を握っているのに気づかず、明けても暮れても女装と裸体のパ
  レードだ。あの乱痴気ぶりと、一身をかけて不条理に石で向かう人々
  は同じではない。
   ただ物事には廿重・三重の複雑な意志が込められている場合も多い。
  特にテル・アヴィブで組合系がプライドがここ数年可能になったのに
  は、当局の意図が働いていると意う。それはイスラームへの対決姿勢
  を煽るための道具として。御存知のように、イスラームでは同性愛者
  は死罪だ。宗教上、最も赦されない罪の行為だろう。それはヘブライ
  教もまったく同じなのだし、イスラエル内部の多くは、このプライド
  は苦々しい念いで視ていると意う。だがしかし、イスラームは人でな
  しであり、イスラームは野蛮であることを主張する見せ物としては、
  プライドは好都合なのだ。決して赦しはしないが、イスラエルという
  国とその制度の優位性(全く優位性はないように意うけれど)の為に
  利用し、また脳天気に進んで利用され、ほんとうにマイノリティであ
  って差別されているなら、パレスティナの人々との連帯を謳っても可
  い筈なのにも係らず、それらを排斥したばか騒ぎに堕している。
   イランについて謂えば、我が国の論調は、一とつには当惑、次にム
  サビ支持の空気だ。先ず当惑というのは、イランでデモが起こるなぞ
  とは夢想だにしなかったからだ。アメリカンにとってのイランとは、
  ホメイニ師と大使館人質事件の印象(カーター時代の倦怠感と等符号
  で結ばれている)が非常に強く決定的で、その後のイランを含めて、
  不可触なイスラーム専制支配の国───そうした刻印であるから、先
  ずこの騒擾をどう受け止めれば可いのか、躊躇してしまう。時間を数
  日経て、この両派の対抗が抜き差しならないことを知ると、ムサビ支
  持へ傾き始めた。しかし、ここに大きな認定の間違いがある。それは
  オバマがいちばんよく知っていることは、ホワイトハウスのアナウン
  スでも微妙に判るのだけれど、これは何の対立なのかとなると全く違
  って来る。写真を視れば一目瞭然で、大統領側もそして元首相側も、
  揃ってスピーチの後景には、ホメイニ師とハメネイ師の両アヤトラ(
  最高領袖)の写真がある。これだけでも、双方の対立は、およそ国内
  問題に関しての路線の違いだ。詰まりは、イスラム法曹、革命防衛隊、
  民兵に専制されたシステムではなく、より広範囲なバザール商人層な
  り新しく擡頭する新世代なりの声との対立なのであり、創業の理念と
  してのイスラームの下での平等社会が出来ていない、国内矛盾の表面
  化だろう。日本でも間違った報道がされ始めているから一言して置く
  と、北朝鮮とイランとのミサイル開発に大きな役割を果たしたのは、
  外ならないムサビであること(1982年随員として初訪朝)なのだか
  ら、この対抗を、イスラーム体制かはたまた自由かと捉えると、事の
  真意を誤らせるに十分だと意う。過ちは繰り返される───だ。
   そして若し過ちを犯すなら、騒擾のなかに暴走者が発生する。「私
  の投票はどこへ?」のスローガンは許容範囲だが、「自由が欲しい」
  のスローガンを誰かが叫ぶとすれば、これこそ、国家内乱陰謀罪が発
  動され、対抗は一巻の終わりとなろう。振り上げた拳をどう収めるの
  か───。非常に難しく、最終的にはアヤトラの裁定が必要になるの
  だと意うけれども、イラン・イスラーム体制のなかで起こったこの声
  は、大きくイランという国に微妙な影を落とすことは謂うまでもない
  と意う。
  
   世界の地殻的変動は大きなうねりになり始めたように意う。触れな
  かったけれども、カシミールが動かす力、それは石礫を握りしめて向
  かう、空拳徒手にも似た意志が、インドという国を大きく揺るがすか
  も知れない。ソウルでのサンヨン自動車のストライキや、ベルリンで
  始まった高校生による教育改革の直截行動が、なにかを変えてゆくか
  も知れない。それらの「意志としての身体」が、世界で瞭原の火のよ
  うにうねり炎が拡がってゆく。
   世界は完全に流動化の事態へ入っていっているように意う。国でも
  なく、体制でもない、個人の意志の身体がそうさせてゆくンだろうか。

                            - 了 -

Monday, June 15, 2009

アーリントンの篝火



   なんとか父が希望する部品を近くのクラシック専門のリペア・ショ
  ップ(創業が1952年でいまは三代目のまぁクルマ大好きな家族経営
  のお店)のジャン(オーナー)に電話して置いた所が、「探したらさ
  三つ純正の新品が残ってる見たいだから」)とのことで、さっそく吉
  報を父に電話した。その会話のなかで父がこういう。
  「君、ブースターは買ったかな?」
  父に云わせると、「テレヴィも君のことだからアナログだろうと思っ
  てね。もうデジタルに変わったんだことも知らないのではないかと思
  って」と云う。父のそれは「大丈夫か」というニュアンスではなくし
  て「どうせアナログ電波が止まって混乱してるんでしょう」的な嗤い
  と揶揄が込められていた。これだから利巧科系は苦手だ。

   そこで、
  「あのですね、『トワイライト・ゾーン』をモノクロームのテレヴィ
  ジョンで観たあなただから言いますが、やっぱり『ルーシー』にして
  も『ルート66』にしても、『ペリー・メイスン』にしても、あの受
  像機で見るといまののっぺりしたデジタル受信機では味わいがないで
  すよ。うちのはちゃんと使い分けていまして、現代のものは現代の受
  信機。といってももう6年前ほものですが、モノクロームはちゃんと
  貴方の時代のもので観ていますよ。どうです、いいですよ、試してみ
  たらいかがです?」と返球したら、応えに窮していた。hahaha
   まあ豪速球を投げても致し方ないので、テレヴィジョンというもの
  がこれで終る。一とつの時代が終るという趣旨の会話を兩人でし、父
  にとって最も印象に残って、いまでも生々しくその時と自分をまじま
  じと今日のことのように、そして明日もそうであることのような、そ
  うした出来事はなんだかと訊ねた。

http://www.youtube.com/watch?v=QIA_UqgLmuQ

http://www.youtube.com/watch?v=_xWW4WmBtk8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=BLmiOEk59n8&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=ouRbkBAOGEw&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=TpicOfFajNE&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=huBv5ypPF9I&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=55PYQbu2iXs&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=AX7BChan-xg&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=_23UyIuEzK4&feature=channel_page

http://www.youtube.com/watch?v=YY1g9BCBtVs&feature=channel_page


   「JFKです。あの時代ぜんぶですね。いろいろあったけど、私は
  JFKの映像を観ると、ぜんぶ後は消えてしまいますね。君には判ら
  いかも知れないけど、希望が凄くありました。でも希望の向こう側へ
  の不安もすごくあった。ですから、暗殺のときはショックではなかっ
  たように思います。でも観たくないから、観ていません。いま観れる
  手段はいくらでもあるんですが、なにか胸騒ぎがしますから」
   父の胸中は同時代を体験していないから、共有することはできない
  けれど、けれどもJFKの暗殺から今日に到るまで、アメリカンの心
  から離れないのは、その劇的さの時系列表だけではない、この国のあ
  りようと、否、それより以前の人の心のなかに入ってきた一人の男と
  その男そのものの希有さ、夢や希望やそういったすべての記号を帯び
  たからだったように思う。それでなくては説明はできないかも知れな
  い。
   アナログが終った。


http://www.youtube.com/watch?v=VjnygQ02aW4&feature=channel_page

   そしてデジタル。オバマの時代───。もしかしたら父の時代のよ
  うに、希望とそして同じく混沌を我がむねの中にみんな診ているのだ
  ろうか。
   またJFKは永生している。


http://www.youtube.com/watch?v=4DMURserfvA&feature=channel_page

   ということはデジタルって何だろう。
   結局は、人という究めてアナログな存在のツールでしかない。だか
  らデジタルなんてものは結局は大したもんぢぁない。
   そういう意味で我が家はアナログでこれからも行く。アーリントン
  の篝火のように───。
   そう話したら、父は黙って電話を切った。

                            - 了 -

Sunday, June 14, 2009

No More Copy




   父からひさしぶりに電話が有った。母の病気見舞で会った切りで、
  お互いに用もない訳でもあって、電話で会話するのは半年以上ぶりだ。
  我が家は用がない電話はしない───これは兄も弟も自分の世界では
  どうかは知らないが、家族内であると規律を遵守しているんぢぁない
  かと意う。俺よりは電話しているだろうけれど。
   祖父や父からはいろいろと影響を受けた。なかでもJazzはその最た
  るもので、我が家には相当量のレコードは有り、また夏前になると一
  枚一枚のレコードを洗浄機にかけ、叮嚀に磨いてはまた倉庫に終うと
  謂う、日本で謂うなら正倉院の管理にも似た、行事は毎年この時季の
  ことだったし、故サラ・ヴォーンのブルーノートに連れていかれたり
  、子供のころからそういう雰囲気のなかだったし、自然とそれらの音
  楽を聴いていたから、ハイスクールの時にはもう自分は自分のJazzの
  小世界や、そこから触手を伸ばしたキューバンなんかにはまっていた。
   そして俺から父に与えた影響も有って、それはクルマだった。父は
  「クルマはスニーカー」という人でもあり、まったく興味も関心もな
  かった訳だけれど、人生の中葉を過ぎ、果たして初老の域になった時、
  あれほど「君はクルマ持ち過ぎだよ」と理解し難さ風に対していたの
  だけど、いつだったから「君の持っているビューイックいいね」の第
  一声から始まって、自分でも歴史を調べたり性能も徹底して調べ上げ
  れば増々、欲しくなったらしく、まぁ、どこで人は忘れていた子供の
  頃の憧憬を叶えたいと希うか判らないものだと惟うけれども、あれだ
  け、俺を「変な人」的に終始していたから、直截には云えなかったら
  しく、母や祖母を介して、「譲ってくれ」という商談を持ち込まれ、
  トランスミッションを直したばかりだったけれども、格安ならぬタダ
  で譲らざるを得なかった。今から思えば、夫婦で謀議を凝らしていた
  のかも知れない。それからの父は、出身は理工系でもあるから、俺よ
  り急速にクルマをいじるようになり、リペアは殆ど自分でする迄にな
  り、洗車法は俺の指南を拒んで、自分でも「彼よりは私のほうが上だ
  」と自慢しているらしい。そんな事は亡い筈ではある。
   その父からの電話は───
  「部品がね、もうディーラーにもないし。eBayで見つけては集めては
  いるんだけど、そっちのほうで知らないか?」
   と、云う内容だった。父は万全を期す。彼の正格なのだがなんでも
  先手、先手なのであって、それでないと不安に陥るようだ。
  「そうですね、クラシックなら純正でなくても世界に山ほどあるンで
  すが、97年でしょ?。クラシックでもないし最新でもないですから
  、なかなかこちらでも有りませんよ。あなたも御存知かと意いますが、
  これから果たして趣味のカテゴリーに入ってくるかどうかも難しいン
  ぢぁないだろうかと意うんですす」
   と、答え、出來るなら新しいクルマを購入してはどうかと打診した
  ら、まったく温厚というか祖父の存在が巨大なものだから、まぁ秀忠
  のような人でもあって、怒ったことは見たことがない人の口調が、微
  妙に変化をし、
  「君ですね、そうは云うけれども、あのクルマの乗り心地を知ってい
  るでしょう?。もう出ませんよ、ああいうコストを考えないで作った
  クルマは。最後のアメリカらしいアメリカのクルマです。そういうク
  ルマを買い替えろなぞと、よくもそんな事が云えますね」。-:-;;
   確かに父の云う通りで、1996年でGMの時代は了ってしまった
  んだろうと念う。


http://www.youtube.com/watch?v=33oiGqUsGvI&feature=channel_page

   アメリカ車というのは、日本車と比較すると設計の段階で違う。先
  ず、図面を引く時、アメリカ車は中央にドンと座席を置く。そして乗
  り、脚を伸ばして、手を伸ばして、その空間を決めてから、外の四角
  に向かって線を引いてゆく。それがフルサイズになる。日本車はそう
  ではない。政府の小型車枠規制の時代にクルマが誕生したことも影響
  しているだろうが、先ず枠を決める。そこから線を内側に向かって引
  いてゆく。丸で発想が違う。それは今でも色濃く、クルマに残存して
  いるのが判るのだけれど、エンジンも車体重が大きくなれば相当なエ
  ンジンを積む訳だし、小型車枠ならほどほどのエンジンになる。デザ
  インは簡潔明瞭。長く・広く・低くの黄金律が絶対だから、アメリカ
  車の外観は、非常にシンプルだ。日本車はまた違って小さいものを大
  きく見せなければならないから、デザインはメリハリを付けないとい
  けなくなる。それらが今日の、アメリカ車と日本車の帰結になってい
  るように意う。企業の命運も当然、そこから導出されている。
   ただ、アメリカ車が世界で一等であり、誰も真似出来ないことがあ
  る。それは乗り心地だ。サスペンションということになる。
   このサスペンションはコストとしては可成りの経費を計上しなけれ
  ばならない。だから今の時代、「硬めのセッティングがトレンドでし
  て」なんて云う自動車企業の人々もいるし、オーナーでもそれを自慢
  する人もいるけれど、俺からするとそれは真っ赤な嘘で、実は「コス
  ト削減しちゃいますと、乗り心地はそれは悪くなりますよ」の、コス
  ト最優先の結果を繕うだけの詭弁のように意う。フェラーリやポルシ
  ェといったスポーツならそりゃ硬いセッティングで当たり前だが、そ
  れ以外に「硬め」の乗り心地なぞは、不快感だけしか覚えない。コス
  トを削りに削る日本車で若し、絶妙な乗り心地のクルマを作ろうとし
  たら、それはもう割に合わないことになってしまう。ホイールベース
  を長く長く採らなければいけないばかりか、父のビューイックのよう
  に、堅牢なダンパーに廿重のスプリングにエアサスペンションを驕っ
  たものは、領域外。昔の会話で云うなら「だったらキャディラックか
  リンカーンが宜しいかと意います」とディーラーのセールスマンは宣
  うに相違ない。俺はシトローエンにも乗っているし、世評は「宇宙船
  」だと云うけれど、実はアメリカ車のほうが乗り心地では圧倒してい
  るように意う。シトロエーンの創業の夢は、アメリカ車だった訳だか
  ら、やはりクルマに重度の制限が課された彼の国で、あの乗り心地を
  どうしたら実現出來るか───それがハイドロニューマチックなのだ
  ろうと、双方を乗って確信に至っている。
   それもこれも我が国が、圧倒的物量を誇る国だったから可能であっ
  たのだろう。丈夫で壊れず、どこまで乗っても疲れず、アクセレート
  を踏み込めばスッとクルマは余裕で加速して、室内には強力なエアコ
  ンディショナーとソファのような座席。そしてラジオ。ステアリング
  は指1本で6メートルに近い巨体を操れる。乗り心地は一度味わった
  ら外には乗れない。『みかわや』や『近藤』で天ぷらを一回知ってし
  まったなら、それはもう舌が覚えていると同じく、「こんなクルマが
  あったのか」と念うだろう。それほど素晴らしい。
   父がビューイックを欲しかったのも、そして大切に乗ってい、また
  これからも乗り続けたいのも、あの我が国の素晴らしい時代に、父が
  戻ることは叶わないまでも、ゆったりとクルマを動かすなかに、あの
  時代を身体で呼び戻しているのだろうと意う。

   クルマが売れない。
   数字だけを見ても危機的だ。

   先月の統計では、販売台数が前年比で乗用車が、-36.06%、ライ
  ト・トラック(アメリカならでは)が-27.02%。全体比で-33.07。
  メーカー別は:

  GMが-29%
  フォードが-24.01%
  トヨタが-40.07%
  ホンダが-41.05%
  クライスラーが-46.09%
  ニッサンが-33.01%
  現代が-20.04%
  ヴォルクスワーゲンが-12.06%
  起亜が-16.01%
  BMWが-27.06%

   の数値で、これは市場占有率でも評価が違うという以前のそれを突
  破して、尤もクライスラーはその車種体系からして予想された数次な
  のだけど、小泉・竹中路線で輸出頼みに化した日本製。しかも主力の
  クルマがこの数次だと波及してゆく影響は推して知るべしだろうか。
  それを如実に示すのが、最も売れたクルマと最も売れなかったクルマ
  と、落ち込みが酷い車種で:

   最も好調だったのが、フォード・フュージョンの+9.4%。最も不
  振なのがホンダのシヴィックで-61.10%。続いて、カローラが-54.
  04%、アコードが-48.04%、アルティマが-46.05%、フォード・
  フォーカスが-53.09%、カムリが-38.09、といった具合だ。
   ハイブリット車種と競合するこれらの車種の落ち込みが酷く、近い
  将来には全面的に廃されるかと念うけれども、だからといって落ち込
  み分がハイブリットに流れているかと云うとそれはそうでもない。家
  族一人一人に1台のクルマが一般的で、複数所有の家庭が通常のこの
  国では、1台か2台は減らすか、購入しない───そういうライフ・
  スタイルの変更が進行しているように、近所を見ても意う。また、ど
  うせ購入するなら、売却価値を有するクルマ。詰まりはブランド力が
  有るレクサスかドイツ車に一斉に向かう。そういう意味では、高級車
  市場の打撃はそれほどではなく、Bセグメントと喚ばれる中上級そし
  て大衆車の地殻大変動が、アメリカ社会の価値観の様変わりをそのま
  ま反映しているのだが、過剰な在庫を抱え込んでいると見られる日本
  勢の体力が可成り怪しいように意う。
   そして父のような1980年代後半から1990年代中葉くらいのクルマ
  を求め乗り始めた層が未だ未だではあるけれども、殖えている。

   GMとクライスラーの決定な没落の原因を求めるのは容易いし、ワ
  シントンの資本注入がどれほどの効果を上げるか、フィアットによる
  事実上の吸収の先にある両社を見ても、俺も悲観的なのだけど、起死
  回生があるとすれば、自動車で生きるという前提として、やっぱり、
  述べた往年のクルマ作り。堅牢で長距離でも疲れを知らず、デザイン
  はシンプルなもので、乗り心地が群を抜き、そして環境に対応する、
  そんなクルマ作りぢぁないかと意う。詰まりは1台でぼろ儲けするよ
  うなそれを狙うクルマ作りではダメだということになるかも知れない。

   きょうから父の熱情に応えて、部品手配に走ろう。
                            - 了 -

Saturday, June 13, 2009

まッ、芝居を打つことですな -太郎と鶴平の密談-



  太
  「邦ちゃんを切らざるを得なくなってしまいました」
  鶴
  「困りましたなァ。総理。『抜き打ち』とあれほど私が云ったぢぁな
  いですか」
  太
  「いや、政局にしてはいかんと思ったんですよ。それは困る」
  鶴
  「それは違いますなァ。政治の最後は政局です。勝つか負けるか。そ
  れだけですゾ。困るなァ、あんたも太賀吉さんの子供だ。それぐらい
  判ってなきゃ……」
  太
  「いや『抜き打ち』は考えたんです、俺は。あ、すみません。ただ、
  あっちも首を縦に振らないきゃ、こっちは俺を追い落とす動きがあっ
  て……」
  鶴
  「あっちってんのは信濃町かね」
  太
  「え、まぁ」
  鶴
  「あとは神奈川と三田が動いているでしょ」
  太
  「お察しの通りです。上げ潮なんて顔ぢぁない、下げ潮のようなでけ
  ぇ顔の男も動いていてですね……」
  鶴
  「こんどの人事はまぁ、十中八九、三田の学者が動いてますなぁ。む
  ぅううん、まぁ危機感だろうね。総理、潮目というものがある。何事
  も潮目を読めなければ、負けです。こんなことを云っちゃいけないが
  、潮目は郵政見直しです。そこまでは声にはなっていないが、明らか
  に、総理の仰るでけぇ顔とか、渡り渡世の女とかね、群馬の下手な若
  造なんか大したことぢぁアない」
  太
  「そうですか?」
  鶴
  「だから困るんだ。それぢぁ。我が国はアメリカと連動しておる。そ
  れについちゃ、あんたの爺さんなり私等が敷いたレールだし、それに
  ついてとやかく云う奴もそりゃいる。河野も三木も音羽の爺さんだっ
  てあれこれ強がりを云ってたが、爺さんと私らの敷いたレールは最善
  だと思っておる。それが繁栄にいった。そこでだね、我が国は米国の
  影響の元に存る。そうぢぁありませか?」
  太
  「まぁ、おいらとしては、そろそろ対等にしなきゃいけないがと意い
  ますがね」
  鶴
  「あんたに出來る訳がない。まぁ正確にいうならあんた以外の人間に
  もそりゃ出来んよ」
  太
  「───」
  鶴
  「米国を見れば判るでしょうが。潮目は先に変わった。とうぜんこっ
  ちの潮目も変わる。がたがた云ってる連中は、すでに潮目に乗り遅れ
  た。あいつらが云う守旧派なんてッレッテルがこんどは自分たちに烙
  されてるのを判っちゃいない、まぁ、皮肉なもんですなぁ」
  太
  「そんなもんですかい?」
  鶴
  「時流はそういうもんです、総理。流れが早ければ早いほど、流れに
  乗ったもんは、その流れを先へ見極めんと、すぐ流れに弾き出される。
  まぁ、なんとか託児所の連中もそうだが、あいつらは尻馬に乗っかっ
  ただけ、党にとっては百害有って一利なしだ。さっき云った、連中も
  もう乗り遅れとる。自縛っていう奴でしょ。大きな旗を立てて流れだ
  流れだと叫んだはいいが、あちらさんは逆だ。旗が降ろせんのだねぇ。
  政治というものは、旗を立ててもそれを降ろすことができるのが政治
  だ。そういうもんが判っちゃいない。だから降ろせんのです。三田の
  バカ学者もそっちだわな」
  太
  「ぢぁ、なんとかなるんでしょうか?、策は?」
  鶴
  「あんたが『抜き打ち』をしとればよかったんだが、それが出来なっ
  かっとなるとぉ───むぅううん」
  太
  「邦ちゃんも出ていっちゃうことはないと意うんですが……」
  鶴
  「総理、あんたにも云ったけれども、総理は総理だ。伝家の宝刀を使
  うタイミングを逃しちゃいけませんゾ。そうした終わりだ。前にも云
  ったけれども、一度権力を手放したら、その後、それを取り返すのに
  は金は幾ら有っても足りん。政権は死守なさい───と云った筈です
  がね」
  太
  「それは、それはちゃんと銘じております」
  鶴
  「ぢぁ、云うが───。あいつらこそ守旧派だっと持ってゆく。恐ら
  くそうなる。世界の潮目がどこを採っても変わっとる。あいつらこそ
  が旗を降ろせない者たちだってことを、今や郵政民営化の旗なんか持
  てる連中こそ、国民のことなぞ判っちゃいないってことを、印象づけ
  なきゃならんね」
  太
  「できますか、そんなこと───」
  鶴
  「あります。ラフレ埼玉だ。あそこをマスコミに突かせればいい」
  太
  「それなんですか?」
  鶴
  「あのなんだ成金の貸金が狙ったのは、ラフレだろうね。まぁ外のか
  んぽはおまけ見たいなもんだ。そこを西川が乗ったという話だ。まぁ
  民間企業で云えば、背任だ。そこです、突けば流れがまた変わる。そ
  れは、恒雄さんにやってもらうんだねぇ。やってくれるでしょ」
  太
  「そりゃ、追い落としぢぁないですか───」
  鶴
  「困りますねぇ、どこぞのお坊ちゃんぢぁ」
  太
  「いや、ちゃんと愛人だって店出させてやってますよ。それぐらいの
  器量はあります」
  鶴
  「そういうところだけでもねぇ。まぁいいでしょ。これは大きな博打
  だが、不平を云う連中には出ていって貰う。落とすんです、選挙で」
  太
  「いまの情況から見たら、それや下野ぢぁないですか?」
  鶴
  「いや」
  太
  「といっても、信濃町のほうも」
  鶴
  「再編です、再編するしか手がない」
  太
  「そんなことできっこないでしょ。野党は固まっているンですよ」
  鶴
  「困るなぁ、それぢぁア。まず、託児所の連中なんか吹けば飛ぶ奴等
  だ。直ぐ落ちる。でっけえ顔やその複数は入ってくるでしょうが。あ
  の女は、我が党が下野したら、こんどはまた、何事もなかったように
  民主党へ行って大臣狙いで行く。まぁ厚化粧な女は決ってそうだ」
  太
  「はははは」
  鶴
  「そこでだ。旗を降ろす連中は降ろさせればいい。まぁ選挙に落ちた
  らただの人。そこです。一人一人どうするかを迫れば可い。託児所の
  連中でも、まぁ乗ってくる連中は党が面倒見ようで構わない。選挙の
  次第では下野する数になるかも知れないが、だからこそ信濃町にも云
  える、ただの野党で可いんですか、とね。信濃町はぜったい付いてく
  るでしょうなぁ。
  大義名分を立てるにはね、総理。神奈川と三田の路線をはっきり切ら
  んと前へ進めない。これがあんたが政権を死守できるかどうか、党が
  生き残れるかどうか───そこです」
  太
  「いや、そうは仰るけれども、俺も賛成な部分もあるし納得しかねる
  部分もあって、そうそう簡単には否定できません」
  鶴
  「あんた、それぢぁ政治家ぢぁない。生きるか死ぬしかないのが政治
  ですぞ。まぁタイミングもよるが、いまの情況は沈み行く船だ。まぁ
  そういう嗅覚もない連中が多いが、選挙次第では党は割れますな。そ
  の前です。邦夫くんには子会社をやって貰う」
  太
  「どういうことです」
  鶴
  「沈み行く船には誰も来やしません。それでも下船しませんという連
  中はあんたに付いて行きますよ。そこで踏み絵です。だが───」
  太
  「だが───とは?」
  鶴
  「大義名分ですな、その旗を立てなきゃいけない。いまの旗は色が判
  らん。旗幟を鮮明にするとして、まぁそこの旗幟はなるべく大きな事
  や坊ちゃん風のもんぢぁダメです。だが、子会社が先です。そこに窓
  口になって貰う。邦夫君なら邦夫君にやって貰う。そこを受け皿にし
  て、選挙後連立です。亀井君も、郵政見直しなら乗ってくる。ただそ
  れだけで済む」
  「政治は詭計です。ほざいてる連中も権力の側に存るからあんな事を
  云ってられる。脅せば可い。腰砕けですよ」
  鶴
  「まッ、芝居を打つことですな。敵を騙すより身内を騙すほうがこの
  際は得策でしょ。党が少数になったとしても、子会社と親戚の会社を
  合わせればなんとかなるでしょうなぁ。大義名分も立てられる、幾つ
  もある。相手は郵政見直し。それを呑む。ガラガラポンで出る目は、
  どちらにしてもあんたには有利になる筈です。それぐらいの構想では
  ないと勝てませんゾ」
  太
  「しかし脱党者なり反対派がどれぐらいになるか───」
  鶴
  「多かろうが少なかろうが構いやしません。米国が、市場原理主義ぢ
  ぁダメだとなった、欧州の情勢もそうです。欧米がそうなら、我が国
  もそうなる、連動する。これが私にやぁ知らないがグローバリズムの
  産物というもンぢぁないですか。あいつらが言い立てるグローバリズ
  ムによってあいつらが退場する。そこです、突くのは」
  太
  「しかし手駒が───」
  鶴
  「そうだな。智慧者がいないか。そこが問題だねぇ───」

                            

Thursday, June 11, 2009

iPanic



  「Vから言ってやってくれないかな」
   正式に一日遅れだったけれど、知己のたっての願いを果たすべく、
  正式にビヴァリー・ヒルズのムンシパル・コートに民事での提訴手続
  きと身柄拘束の申請をし即日受理された。これはエドワードが代理人
  になって貰ったから叶ったもので、感謝を伝えるのと、今週末に飯で
  もという誘いの会話の後に、夫人からもたらされた一言だった。

  (もしやしてバラートのあの夜に不始末をしでかしたのか、その某
   等をまた等価交換的に頼んで来たものか───)

   と、転瞬に身構えたのだったが、さに非ずで、

  「また、iPhoneを買い替えするっていうんだよ。いまので十分なの
  に。またファミリー・プランでVもテルテオも入れば安いのになって
  さいきんまた言い始めて───」
   なんの事はない、たかが移動電話機の話ぢぁないか。がしかし、奴
  の新しモノ好き(人も物も)は際限がないのはよく知っているから、
  それは困り者だろうと夫人の愚痴をちゃんと小一時間ばかりは聴いた。
   ジェームズくんも以前は。エドワード同様に、「新しモノ好き」だ
  ったし、ボードも頻繁に買い足したり、テに強奪されたフェラーリの
  ボードをエドワードにせがんだり、それはそれは、WeHoerの象徴み
  たいだったが、結婚してからは、別人のように変貌して、慎み深く、
  夫を第一にして、この大不況のなかで、特にエドワードの経営するス
  パ&ジムなどは、運の悪いことに大改装後に、この事態だし、マガジ
  ンは部数をどんどん減らすというなかで、追い打ちは節水命令で、こ
  れはスパ&ジムには大打撃だろう。そのような中で、ジェームズくん
  の采配ぶりは見事なもので、楽器のレッスンを介してもそうだけど、
  姑の信任もいよいよ深まって、いまやジェームズなくしてエドワード
  無しは、エドワードの両親もまた俺を含めた周囲も、肯首するほどだ。
  その内助の悩みは、「なんでも新しいもの買っちゃうんだ。Vから『
  あんなもん、『お前は絶対使わない』って言われたキンドルまでぼく
  の分まで買ってきちゃうし、この前は、またハワイのコンドが安いか
  らって、買おうとしたり───丸で判ってなくて。それだけぢぁない
  んだよ。外に出たがるしさ。今はそれどころぢぁないのに」。
   むぅん、仕合せ者は情けない奴と相場は決っている。男というもの
  は、常に子宮を安全圏だと身体で知っているから、そこに安任にして
  しまう。エドワードの場合もそうだ。内助はただひたすらそれをコン
  トロールしなければならないから堪ったものぢぁない。ましてやジェ
  ームズくんだって欲しいものは沢山あるにも係らずを考えれば、こん
  な一方的な仕合せは、ジェームズくんだってそうそうは耐えられない
  だろうと不安になる。また俺が怒り役、憎まれ役か───。

   キンドルにiPhone 3S。
   金額的には大したことはないと、アナログ人間は意うのだけど、話
  を聴いて見ると、色々なソフトウェアの費用がばかにならいとジェー
  ムズくんは云うので調べて見たら───いやいや、塵も積もればなん
  とやらで、巧妙に仕組まれている。まさにiPanicだ。
   商才に長けたジョブズのことだから、シリコン・ヴァレーに貸しを
  作るのを、消費者に巧みに支払って貰うということだろう。キンドル
  にしてもそうで、俺は「何を血迷ったんだろう」と意うほどで、こん
  な電子本はコンピュータ上でうあってたことで、それでさへ購読層な
  ぞはそれほどでもなかったものを、「昔の名前をちょっと変えて出て
  います」という、何らの新味もない携帯できるだけの電子本だ。これ
  とて、衰亡著しい出版業界に貸しを作る、そして出版業界はただそれ
  に乗っかっただけの話で、それも購入者が、代払しなければならない
  だけのものだ。消費者がなんなく騙される時代、否、それ以上に自ら
  志願して騙されるのを仕合せと意う時代───。そんなことなぞを考
  える。そして3億総白痴の時代がもうやって来ている。
   どちらともに本質を見失った者同士の、まぁ言ってみれば、結婚の
  ようで、それはそれでお目出度き人々だとは意うし、お目出度き中に
  いれば、そのお目出度さはまったく判らないから、だから志願囚人に
  どちらも競って入るんだろう。先が見えないから尚更である。

   よくよく考えれば誰でも判るもので、電話は用件だけ話せばそれで
  可く、読むなら紙の活字を読めば可い。ただそれだけなのである。俺
  はそういう生活を変更する価値を全く認めない人間だから、まったく
  構わない。その俺も嘗ては、何人をも上回る「新しきモノ」好きだっ
  たし、オーディオだろうが電子機器だろうが、先も先に飛びついてい
  た。今から思うと「そんな時もあったのか」と他人事なんだけれども
  、いつからか「こんな際限のない無意味さって何だろう」と思ってか
  ら、一切を放擲し今日に至っている。
   そこで得た教訓は、際限のない欲求は際限のない不幸せを喚ぶ、と
  云うことだ。比喩でよく用いるのだが、「貴方は空腹ですか、それと
  も食欲ですか。目の前に存る料理を見てそれを問えば、食事に対する
  自分のその時その時の位相がはっきり判りますよ。そこをよくよく考
  るか考えないか。大したことぢぁないけど、それで生活は変化を起こ
  すでしょう」と言っている。人は空腹でお腹いっぱい食べればそれで
  仕合せだが、空腹を食欲を混同している人にとってはストレス以外の
  何者でもなく、際限のない欲求だけを感じながら生き続けることにな
  るんぢぁないだろうか。
   これらの製品が押さえている部分。いや、これらの製品だけぢぁな
  く、略、すべての奇を衒ったものなぞは、人の空腹と食欲を混同させ
  て脳内を破壊させて、永遠に囚人化させようとする。そして多くの人
  がそれに飛びついてゆく。俺が鳥瞰してそれらを見ると、技術なんか
  発展してそうに見えるだけで、ほんとうは発展なんかしてやしないと
  意う。なぜなら、結局は、電話をかけなきゃいけない訳だし、そうい
  う機器を持たなければ意志疎通が出来ないのは、ベルの時代から変わ
  りはないし、結局は電子上の字を見て、読むだけなのだ。ほんとうの
  発展とはそんなもんぢぁなく、「あ・うん」装置が身体に組み込まれ
  て、自分の真実の意志が相手の装置に伝わるとか、夜セットして就寝
  しれば、睡眠中に読みたかった本が翌朝にはすっかり脳裏に入ってい
  て、「昨日セットした小説あれはよかった」になる。それが発展とい
  うものであって、そこまで行かないんだったら、まったく黒電話でも
  、書籍でも構わないと意う。
   昔の製品はそこが違った。食べ物でもそうだけれども、製品自体が
  人の営みに愉しさをもたらしたし、笑顔をもたらした。今でも覚えて
  いるけれども、ラジオを買ってもらった時の嬉しさはなんといったら
  良かっただろう。ラジカセもそうで、箱から取り出した時の、匂いと
  いったら───。スイッチを入れ周波数を合わせると、世界の国から
  の声が聴こえてくる。そこからどれだけ変貌したのだろうと考えてみ
  ると、変わらない。インターネット・ラジオも聴かなければ聴けない。
  だったらラジオで十分だ。
   その意で云うと、我がアメリカは変わって来ている。しかも着実に。
  なにが変わったか。それは際限のない消費に飽き飽きしている人々が
  目覚め始めたこと。「それは大不況だから」と一喝する人も日本だっ
  たら居るかも知れないのだけど、違う。これまでの消費のスタイルで
  そのものを含めた、日常とか生き方とか価値観が大きく変動し始めて
  いるからだ。ガソリンが安くなってももうSUVを購う人が絶滅して
  ゆくのと同じ光景だ。以前の我が国なら、ガソリンが下がればSUV
  が売れた。そういう情況ではもはやないのを説明するには、やはり大
  きな変動がやって来ている。だからGMだろうがクライスラーだろう
  が「ダメなものは潰せば可い」にまでなった。そして旧いクルマを大
  切に乗り続けようという層がコアになって、そういうクルマを多く路
  上で目にするようになっている。それはクラシックではなく8、90
  年代のそれを見ることにも明らかだ。

   アメリカが変わるとき、世界は変わる。
   これは何も、アメリカ病の患者で言っているんではなく、善くも悪
  くもアメリカがスタンダードを提供して来たという意味で。音楽・ス
  ポーツ・生活───ありとあらゆる場面で、世界に影響の及ばない所
  は亡いだろう。我が国は確かに、国家とか外交とかの世界では疲弊し
  ているけれども、これからも世界に影響を及ぼしてゆくだろう。その
  流れで云うなら、我々の生活観、人生観の変動が、それこそ、「変り
  続けることだけが人生」の「変」が、どういう波及をしてゆくのか。
   「失われた8年」。こんな言い方が妥当かどうかはともかく、あの
  8年が帰結したものは、全面変更だということだ。あの8年は、これ
  までの我が国の人々の生き方の存る部分。詰まり欲望は善である部分
  の集約的な、一挙に押し出された時間だったと意う。内に向かっても
  、外へ向かっても。
   それらが一切に退場を宣告された。以前のアメリカならそれに抵抗
  する声が有った筈なのに、それが亡い。とは言っても、公式に語られ
  ることには躊躇している層も未だ若干いるんだけれども、事態はそれ
  より先へいっている。

   世界はどう変わるか。
   先ずはエドワードに変わって貰おう。

  そして俺は───。
  この電話機が欲しい。hahaha
                            - 了 -

Tuesday, June 09, 2009

思考迷走の絶対零



 ┌────────────────────────────────
 │ 思考迷走の絶対零
 └────────────────────────────────


   今朝はガーデナーが来、芝刈りと庭の落葉の掃除などをしていたけ
  れど、まさに曇天。今にも涙しそうな空模様を見上げて、実はこうい
  う今にも涙しそうな空模様と影を落とした景色はたまらなく好きなの
  だけれど、それは心中が穏やかな時であって、今朝は心中も曇天な俺
  だ。
   昨日は終日弁護士を招いて話し合いを持った。内容は獄中に入る奴
  の出所後の諸問題。中でも、奴が全財産を預けた人間がそれを私して
  しまった(実は日曜に日本へ一足先に出国したことが判明)問題につ
  いて容疑者不在のまま、告訴するかどうかを含めてのもので、きょう
  午後には弁護士から裁判所への所定の手続きをするということに合議
  した。勿論、日本へ出国した人間は、再入国時点で身柄拘束となるこ
  とは確かだから、後は出所後の奴と当該の人物との問題。俺等はここ
  まで。弁護士を送り、これで一とつ肩の荷が降りたという、少し晴れ
  晴れした思いだったんだけど───。
   奴がどうしても連絡を取ってくれという、奴の彼女からようやく電
  話が来た。いちばん彼女のことが不安だったに相違ないと意う俺は、
  最近の消息を訊ねた後、奴から手紙を書きたいからアドレスを教えて
  欲しいという依頼を改めて述べたら───
  「もう彼のことは忘れようと思います。Vさんのお心遣いは嬉しいけ
  ど、もう彼氏もいるんです。来月ニューヨークに越すことになって」
   これはもう致し方ない。問題はその後につないだ彼女の言葉だった。
  「あの、●●さん(奴)と■■さんはドラッグの元締めだったんです。
  私、警察の事情聴取でもそれは知らないと言い切りましたけど、実は
  あの二人はそうだった」
  「君、■■さんんってあのジェラート屋さんの女性のこと?」
  「そうです。彼女は結婚しては離婚を繰り返して、慰謝料で食べてた
  人なんですけど、もうお年だし、それも無理だったところに、ドラッ
  グがお金になると───それで●●さんを誘って───」
  「最近は姿を見せないけど───」
  「●●さんが捕まって、口を割られたらと思ったんでしょうね。日本
  へその後手早く、『お見合いがあるのよね』と永久帰国しました。か
  なり急ぎだったようですから、怖かったんでしょう、自分に手が伸び
  てくるのが───」
  「───」
  「それもそうだったけど、●●さんお店を売るって。私仕事柄(彼女
  は企業コンサルタント)、日本のちょっと大きなレストラン事業家が
  こちらでお店を出したいという希望で、●●さんが逮捕されたその当
  日、会う約束をしてたんです。でも、捕まったから今になって見れば

  「なんで?」
  「会う約束をしてたのは、▽▽さん(あのS価学会幹部)でしたから。
  会わなくてよかった。契約までいっていたら、資金はどうなるか判ら
  なかったでしょ?。Vさんのお話でゾッとします、今」

   いやぁ、心中は一挙の曇天と化し、彼女がニューヨークに旅立つ前
  に飯でも喰おうという声もどこかの声のような気がして受話器を置い
  たのだった。容易ならざる事態に。
   むぅううん。
   どうしたものか。炭水化物をゼロにしているから、頭が働かない。
  パティオには冷たい風。瞑目しては逡巡をし、溜息ばかりをつく俺。
   なにやら難題は軽そうではなかった。

                            - 了 -

容易ならざる事態の日本



  ▱ la crise de la critique ▱
 ┌────────────────────────────────
 │ 容易ならざる事態の日本
 └────────────────────────────────

   この所、俺の周囲からどんどん顔というものが消えてゆく。「彼は
  、彼女はさいきん顔を見ないけど、どうしてますか?」とこちらの日
  本人に訊ねると、「日本へ帰りました」「どうも日本の情況が悪いみ
  たいらしいです、こっちも大変ですけど」という返事が必ず返ってく
  る。まぁ留学というものは或る意味で贅沢なことでもあるし(特に日
  本の人々がこちらで奨学金を取得は困難だし、非市民でもあるために
  学生ローン(4年間の学費を銀行が融資し卒業後返済)も不可能なの
  だから、日本のご両親に送金して貰い、加えてパートタイマーでもし
  ないと、先ず生活自体が経営出来ないのだから、恐らく、ご実家の送
  金が危ぶまれる情況に至っての帰国だろうと推察している。
   これまでの日本の情況が危機的な水域に入っていることは綴ったの
  だけども、きょうのマイミクさんの日記では、久しぶりに日記という
  ものを読んだという感慨と、これからはマイミクさんがご両親を扶養
  せざるを得ないという、とうとう日本経済はここまで来てしまったと
  言う現実的な直面を知り、呆然とするより外はない。日本という国を
  、より手の届くリアルな範囲で言うなら、自らは贅沢をせず、着るも
  のも、食べるものも、そして遊蕩にも一切興味すらなく、ひたすらに
  家族のために生きてきた人々───これが日本という国をここまで先
  導してきたその功労者の世代が軒並み、困難に陥っていることをなん
  とかしなければならない───そうではないと国は滅茶苦茶になって
  しまう。そういう思いが、マイミクさんの一字一句から、重みとなっ
  て伝わって来た。日本は株式市場の指標だ、日銀の短観だと、数字を
  弄っては、やれ景気が底入れであるとか、明るさが見えて来たなどと
  、それを発表する側だって、粉飾予測だと知りながら公にし、なんと
  か自分達の存在事由を発表しているだけであって、それ以外の意味は
  なにも亡いに等しい。日銀なぞの知力は森永さんの時代から相当低く
  なってしまって、いまはその機能すら果たせない。
   日本は尋常ならざる事態へと入ったように意う。いま外の脅威をし
  きりに強調されているし、また脅威は脅威として事実であるのだけれ
  ども、真実はどんどん日本の内の体力が究めて危険な状態に至ってい
  、先行きは非常に危ぶまれるという状態のように意う。
   政府は政府で、また小泉劇場の再演とばかり、ジャパン・ポスタル
  の首脳人事で、片や正義をふりかざし、片や居座りを決め込み、そこ
  によってたかって、白黒付けるか、やれ麻生裁きであるとか、いまや
  くだらない三文芝居を見せられる一方で、襤褸のようになってゆく日
  本というカタチに誰しも何をもしようとしない。ただただ自然死を待
  つばかり。正義なる言葉を振り飾る者を俺は信用しない。正義という
  言葉を大言壮語する人間に限って、禄な人間はいないからで、まぁ、
  そんな恥ずかしい言葉を公に出來るのは、威丈高な要らぬプライドの
  持ち主に決っているだそうし、そして、国民資金を私しようと狙う企
  業とそれを追認する人間にも、道徳の片鱗さへ見られないだろう。
   俺が畏れるのは、日本にファシズムがやって来る、その現実が高く
  なって来たということだ。革命というものは有り得ない訳だから、こ
  れまでのポピュリズムでも暮らしがもはや成立しない、自己洗脳する
  ことが出来なく成った喫水線を超えれば、あとは受け皿として誰かが
  、某等が出て来るんぢぁないかと意う。

   日本は容易ならざる事態に入ったように意う。
                            - 了

Monday, June 08, 2009

バナナ収穫



   午前中は、我が家のバナナの葉の収穫。
   バナナ自体は後一ヶ月位で収穫なのだけど、今年の出来は、この天
  候不順で芳しくない見たいで、後一ヶ月の光線と暑さに期待しよう。
   きょうは葉の収穫と書いたけれど、これは何も食べるのではなくっ
  て、インド・カリーの下敷きに使う為。ケララなどの南インドのカリ
  ーは日本でももう知られているから、お分かりだろうと意う。定食の
  バスマティかナンやカリーが、バナナの大葉の上に盛られて供される
  あの葉なのだ。
   過日、日本は鎌倉のアナンのカレーを作ったのに触発されて、「こ
  れなら、自力で作れるはず」、而も、「小麦粉というカーボを完全に
  排除した上で、完全バラートではなく、そこに日本なり米国なりの味
  はいは出せる筈」だと決意。自らの技術・自らの設計・自らのクック
  でやってやろうと数度挑戦して、その参考に、日本の中村屋のレサピ
  を援用して、手直し(例えば、無塩バターを、ギー・ごま油)で、チ
  キンを、スペアリブにする。また、香辛料も、中村屋が20種類のブ
  レンドなのだけど、26種類に拡大)して意見を訊くべく、知己に配
  ったら「旨い!」の(「ほんとうか!?」とスターリン状態)声とな
  って、更に駄目押しで、もう一度。hahaha
   そこに至って、面笑腹罵組は脱落し(笑顔だけど遠慮というカタチ
  の辞退。陰では「私インドっぽいカレー嫌いなの」を会話していたら
  しい情報入手)、全体の一割だったけれど、「来週ちょっと作ってく
  れないかしら。主人が好きみたいで」という声もあって、スパイスを
  調整して、15種ほどにして、ギーはやっぱり苦手なのかなぁ───
  と無塩バターに変更したら、これは完全に全点評価となった。
 
   カリーは呆然とするほどの手間がかかる料理。それが俺の体感で、
  やるとなると、相当気合いを入れないとダメなものだ。一とつ一とつ
  のスパイスを、擦らなければならないし、併せてゆかなければいけな
  い。特に重労働なのが、タマネギをギーで炒めるのがさぁ大変。弱火
  でやれば手が抜けると助言もされるのだけれど、実は弱火でやってし
  まうと味がこってりしない。強火でしかも焦がさずに、飴色(可成り
  濃く)になるまで、火炎地獄のなかを、右手でゆっくり、そして早く
  、ゆっくり───と反復するようにかきまぜてゆくこと2時間。この
  プロセスを手抜きすると、インドもどきは作れるかも知れないが、そ
  れを実現することは叶わない。これはパキスタンの知己から教わった
  のだけど。明日それに着手する為の、収穫で、作るカリーは4種。こ
  れもまた大変な時間を費やすんだけど、頼まれたからには仕様がない。
   またまた難題である。

                            - 了 -

Tuesday, June 02, 2009

ビヤライゴーサの愚策




   さて6月になった。
   むぅん、俺的には初日冒頭から、怒りが炸裂して心的な負荷が厭が
  上にも背負ってしまった───と言うべきだろう。
   それはLA市政府の命令である。全戸への。
   どんな命令かというと、臨時的な命令ではなく、恒常的な、これか
  ら将来に亘る重大な意味を持つ節水命令なのだった。
  あらましは次のようなもの。

  □敷地内に於ける放水は、土と認められる部分だけに限り、コンクリ
   ート或は歩道などへの放水を禁止する。
  □庭への放水は毎週月曜と木曜の2日。夫々午前9時前と午後4時以
   降の各15分以内とし、それ以外の放水を禁止する。
  □自宅敷地内での洗車は、ストッパー付の放水のみを許可とし、それ
   以外の放水装置による放水を厳禁するとともに放水時間を10分以
   内とする。
  □自宅敷地内に置ける噴水及びプールは、循環濾過式以外のものを統
   べて禁止する。
  □自宅内の水管の水漏れが存在する場合は、市政府に対してパーミッ
   トの許可を求めなければならない。
  □飲食店に於いて、カスタマーから水を要求される以外、店側からは
   飲料水を供してはならない。
  □生花業者は、市政府に対してパーミットの許可を求めなけれけばな
   らない。

  未だ有る─── -:-;;

   以上の市命令に違反した事例に対しては別途定める罰金その外の処
  罰を課す。これらの決定は、先日LAに30分ばかり寄ったオバマ大
  統領とベヤライゴーサの短時間の密談、その後の大統領は、アリゾナ
  の大太陽光パワー・プラントを70分視察していることから、大統領
  の意向そのものが「LAが率先して、モデルになって貰いたい」だっ
  ったのだろう。

   とんでもない命令だ。州財政の破綻。市政府の財政難───まぁ判
  るし、「環境」だと宣はれれば至極ごもっとも。そうも意へば意へる。
  然し実は違う。財政難を糊塗する為の、強制的集金ぢぁないか。こん
  なことにおつむを使っているなら、論外だ論外。ニュース・キャスタ
  ーと逢引してる暇があるんだったら、もうちと、頭を使えよ、頭を。
  ぜんぜん使ってないぢぁないか。だいたい、前にも書いたけど、或る
  一部の民族に対してだけ、ありとあらゆる社会保障費を浪費しまくっ
  ておいて、そのツケはこんどは水か、おいッ!。水と来れば次は電気
  だろ。制限を課すったって拙速過ぎる。
   水が黄金より貨なり、は判る。だから節水も判るけど、これからの
  夏。しかもどんどん乾燥度を増してゆくLAで、庭の草花に週2回。
  それも15分だけって、花に枯れろっていってるもんだ。ぢぁ、造花
  を花だと思って植えろってことか!。

   リコール!
   リコール!

   リベラルってこれだから厭なのです。机上でしかものを考えない。
  今の時代のリベラルってもんは。「これはこうだから、これです」。
  そこを質せば「ここに書いてあるでしょ?」の繰り返し。
   もう反対運動が起き始めるから俺も参加します。こんな市政には黙
  てられない。だいたい、地下鉄なんか幾ら作ってたって利用者数を示
  せないぢぁないか。ヒスパニックには大盤振る舞いの予算もそうだけ
  けど。

   納税者は怒るよ、こんな愚策は。
   とんでもねェ命令だ                          

                            - 了 -

Monday, June 01, 2009

おそまつくん芸術総合センター





  これは広告不況のなかで喘ぐ、電通(まぁ人材と質の両面で劣化を明
  らかに誘発している企業)の、なんとも工夫もない知恵もないクリエ
  ィテーヴにもならない、三級ゼネコン的はな発想に、文化庁も政府も
  乗っちゃったような話。これ自体ギャグとしか思えない。
   我がアメリカは、オバマ政権になって首都にアフリカン・アメリカ
  ンの足跡を集成するミュージアムの建設計画に着手したり、まぁミュ
  ージアムというのは歴史と時代の大きな変転のなかで生き残った、或
  は永世する何物かを永く遺すところ。
   やるんだったら、もうちょっと海外に流出した文物を、底辺からで
  可いから買い戻すとか(まぁ金額は足りないけど)、文物保存とか、
  正倉院への手当であるとか、やることはいっぱい有る筈なんだと意う
  けど。狂っちゃってるな───と意うんですね、どこから出た話かは
  知りませんが、まぁ電通周辺でしょう。
   漫画とかアニメって遺るものなんだろうか、そんな歴史的遺産なん
  だろうか。それは漫画は日本の文化の一とつ。だけども、子供に安心
  して親が与えられる漫画ってどれぐらいあるンだろう。そう考えると
  きに、なにか思考回路の壊れ方、頭がどんどん悪くなっている日本の
  群像が見えて来てならない。どんどん悪くなってます。その悪く成っ
  ている簡潔明瞭なフレーズ文化が、世界へ発信されて評価されている
  んだから皮肉なのですが。
   それにしても───。文化庁長官が「カフェ・アオキ」なんて名乗
  っちゃうその言語的能力。これぢぁこういう発想出て来ても致し方亡
  しだと意う。日本語ををもうちょっと大切に考えて欲しい。日本語を
  もうちょっとでも可いから真面目に向かえば、文化も連動してもうち
  よっと復原できるんだと意うんです。
   どうせやるなら、<おそまつくん芸術総合センター(仮称でもこの
  程度なんですね、総合と芸術をたふだくっつけた丈)>にでもして、
  凄い税金を投入して、<ギャグの殿堂>にすれば可い。
   俺なら落語とか芸事を保存する育成するほうに金かけるけど。話藝
  ってやはり日本語の神髄だと意うから。
                            - 了 -

Friday, May 29, 2009

豚にもソース



  ▱ la crise de la critique ▱
 ┌────────────────────────────────
 │ 豚にもソース
 └────────────────────────────────

   アメリカンはポークを食べない。
   これは半分当たっていて、半分は当たっていない。前半分はクリス
  チャンという宗教的な背景があって、THE HOLY SCRIPTURES中
  の戒律のなかには、豚を忌避するよう書かれている。勿論、旧約を含
  めてTHE HOLY SCRIPTURESを信仰する人々、このなかにはユダ
  ヤ教徒、派生したイスラーム教徒も含めて。後の半分は、新約だけを
  信仰する人々で、カソリック、そしてプロテスタントになるんだけど
  も、それでも、旧約と新約は一体不可分なものをねじ曲げた後ろめた
  さも手伝って、「成る可くは食べない」くらいの消極的なもの。然し
  これが南部。例えばルイジアナ辺に行くと、ポークは好まれて食べら
  ている。だからポークといえば南部が本場。そういう影像は、アメリ
  カンなら誰でもが持っている。

   アメリカ聖書事典には次のように存る。
  
  豚【swine】ギリシャ語:コイロス;ヒュース(雌豚);ヘブライ語
  :ハジール。
  豚は反すうしないので、モーゼの律法の条項により食物や犠牲として
  は受け入れられないものとして規定された。豚肉を食べないという禁
  令は、必ずしも健康上の理由に基づいたものではないが、豚肉を食物
  とすることには危険が伴ったようである。現在でもやはり危険があり、
  その説明としては、豚は見境なく何でも食べる習性があり、腐肉や屑
  肉でさへも食し、旋毛虫症や回虫症といった疾患の原因となるものを
  含めて、様々な寄生虫の温床となることが指摘されている。
  一般にイスラエル人は、豚を特に忌むべきものとみなしていた。その
  為、忌むべき崇拝の最たるものについては、「供え物を捧げる者は-
  豚の血を!」という言葉で伝えられている(参照イザヤ66:3)
  イスラエル人にとっては、豚の鼻に金の鼻輪を付けること以上に不適
  切な事柄は先ず有り得なかった。箴言11:22では、外見は美しくとも
  分別のない女性をその樣になぞらえている。
  背教したイスラエル人は豚肉を食べたが(イザヤ65:4;66:17)、
  外典のマカベア第一書(1:65;ドゥエー)によれば、パレスティナ
  がシリアの王アンティコス4世エピファネによる支配下にあり、同王
  がヤハウェの崇拝を撲滅しようと悪辣な煽動をしたいた折、豚肉を食
  べるのを拒み、神の律法を侵すよりは王の布告に叛いて死ぬことを択
  んだユダヤ人が多数いた。
  豚肉を食べない国民は外にも存在したが、ギリシャ人にとって豚肉は
  美食であった。それが為、ギリシャ文化の影響を受けた結果であろう
  と思われますが、キリスト・イエスが地上での宣教を行っていたころ
  には既に、パレスティナにも、デカポリス地方にかなりの頭数の豚が
  いたようであった。ガダラ人の地方には、約2000頭の豚の群れが
  少なくとも一単位存ったことが史料で確認されている。キリストは自
  らが追い出した悪霊たちに豚のこの大きな群れに入ることを許したが、
  その時、この動物はみな突進して断崖から落ち、海の中で溺死したと
  記録されている(参照マタイ8:28-32 マルコ5:11-13)

   THE HOLY SCRIPTURESは、比喩を把握しないと理解できない
  聖典であるんだけれど、豚も比喩であって、詰まり、「豚は見境なく
  何でも食べる習性があり、腐肉や屑肉でさへも食し、旋毛虫症や回虫
  症といった疾患の原因となるものを含めて、様々な寄生虫の温床とな
  る」とは、「見境な」く信仰する者を指していて、使徒ペテロは、信
  仰を捨て、以前の生き方に戻ってしまうクリスチャンに関して「洗わ
  れた後にまた泥のなかで転げ回る豚」と記録している(ペテロ第二2
  :22)。「豚に真珠」という言葉はこのTHE HOLY SCRIPTURES
  から来ているのは諸賢もご存知だろうと希うんだけれども、その意味
  を改めて説明すると、神の教えやその価値を認めない人に、その霊的
  なものを分ち与えるのは賢明なことではない、という意味で、キリス
  トは、その説明を、「豚には真珠の価値を認める能力はない」と使徒
  たちに説話されている。ただ、豚の名誉のために俺が言うのは、豚は
  不潔ではないということだろう。何でも喰うことは事実だけど。
   このように信仰というものは厳しいものであって、その人の一生を
  左右するものだということは、食べること一とつとっても疎かには出
  来ないということ。そしてこのアメリカを含めて、クリスチャン世界
  の生き方というのは、報じられている浮かれ騒ぎは、アメリカ全体の
  ほんの一部の、しかも目立つ部分だけを抜粋したようなものであるこ
  とが、ちょっとだけは判って貰えるかも知れない。
   俺はクリスチャンだけれども、神の律法に背する罪を負う者である。
  組合系であることは、誰がどんな詭弁を弄しても、聖典を読めば一目
  瞭然に律法として書かれているのだから。だからこそ、だからだが、
  罪を自覚しているかどうかが大事だと思っている。罪でないと詭弁を
  弄するのは、自分にまで叛くことになるだろう。そういう人々が異常
  に多い。罪であることを認めて、その上で、クリスチャンと名乗るの
  ではなく、THE HOLY SCRIPTURESを信じているが、俺の場合に
  はいちばん適切な自己規定かも知れない。

   さて、それは豚を喰ったという話。
   豚肉料理はそれこそ世界無尽蔵で、俺なんかは北京料理が代表して
  旨いなぁと意うし、湖南の毛家菜はにんにくと炊き込んだものも絶品
  だし、日本のトンカツもやっぱり旨いと意へば、真骨頂は我がバーベ
  キュー・バックリブの凄味もだろう。
   そして昨夕久しぶりに作ったのが、ルイジアナ・ポークチョップだ
  った。アメリカでのポーク料理の本場はルイジナに代表される深南部。
  ケイジャンと双ぶ料理で、LAでもその名も「ポーク」と題するお店
  があるほど。本来なら、焼き上げたポークの上に、真っ黒なペッパー
  を煮込んだソースがのせられてあるのが絶品なのだけど、俺一人でそ
  のソースは時間もかかって終うので、そうしたケイジャンではなく、
  普通のアフロの家庭で食べられているものを作って見た。
   ポークソテーの場合は、バターをたっぷり使った、バター焼が美味
  で、その上にマーマレードか、ピュアな蜂蜜をかけると、これまたア
  フロ料理になる。とても旨いものなのだけど、今回は、ケチャップと
  ソースを使った、チョップに。
   ここでも旨さの鍵は、ソースになる。日本に於いてもトンカツには
  ソースが欠かせない(俺は一晩置いた冷えたとんかつに醤油が大好き
  なんだけど)。筆頭は、ブルドック、次にカゴメ、続けば神戸のドロ
  ソースもあり、さいきんでは、農場で作る独立系のソース。或は浅草
  ソースであるとか限りがないが、世界的な市民権を得ているのは、も
  はやブルドックかカゴメということになる。ただ、それはトンカツの
  話ではあって、普遍的有効性を持たない限界も同時に負っている。特
  に、ポークチョップの場合、ブルドックなどは、味わいが間延びし放
  ちで冴えない。インパクトが結構弱いのは、煮るとよく判る。その点
  では、LEE & PERRINSのウスターが最上だと俺は意う。創業183
  5年。日本なら天保年間に産声を上げてより、アメリカの唯一の欠か
  せないソースとして君臨して来た歴史的な一品。その原点回帰の製品
  として、<シック(重厚)>が新発売されたので使って見る。そもそ
  も原点を謳っているのだから、このソースの始まりは、重厚だったの
  だ。紙袋に1本1本包装されたソースの封を切り、ひとつまみ味わえ
  ば、豊穣な果実のもたらす奥深い味わいに、ピリッとした辛さが絶妙
  なのだ。
   先ずは、豚肉。これは、ロースでも可いし、フィレでも構わない。
  その食で食べたい部位を択ぶ。昨夕はロイン(まぁロースのこと)。
  下処理は、水洗い。そして一枚一枚水気を拭き取り、そこに、モンゴ
  ルの塩を砕いたもの、そしてルイジアナのペッパーを両面にふりかけ
  て、冷蔵庫に30分ほど。お次は、ソースだ。ヘインツ、そしてこの
  LnPをどっさり使う。配分はケチャップ7にウスターが3ぐらい。そ
  れを鍋にかけ、ローリエその外の香草を入れ、極弱火でことこと煮込
  んでゆく。若し煮詰まる危険があるなら、スワンソンのスープを用意
  して置き、少しづつ入れてゆくのだが、こってり感を失ったら、もう
  チョップ・ソースにはならないので、極力我慢する。これはもう火加
  減に集中するのが賢明だ。
   後は寝かせた豚肉をこんがり焼き上げ、途中、ブランデーで火を飛
  ばし、火が通ったか通らないかの加減で、チョップ・ソースをごっそ
  り入れ、肉に絡めで、沁み通らせるように弱火でボイルしてゆく。肉
  とソースが絡むか絡まないかが、旨さの秘訣だろうと意う。盛り付け
  は、肉汁と邂逅したソースを上からこってりに掛けまわして出来上が
  り。

   ポーク・チョップには、ぜひとも、日本で入手できるなら、LnPの
  <シック』を使って貰いたい。ポーク・チョップの味わいがこれほど
  豊穣なものであるか、納得されるはず。

                            - 了 -

Wednesday, May 27, 2009

StarTAC IT'S BACK




  "ミスター。これはちょっと───"
  "サーヴィスが難しいんですか?"
  "いや、これがウォーキー・トーキーの初めてなんだって、私も見る
  のが初めてですから、ちょっと、びっくりして───"
  "無理ですか───"
  "いえ、そんなことないと意いますが、これはちょっと上に訊いてみ
  ますね。たぶん可能かとは意います。むぅん、これが無線で飛ばす奴
  だったんだぁ───"

   今朝は久しぶりの頭痛(思えばこの8年余頭痛などなかった)で、
  身体は重く、しかもナニをするのも億劫な朝なので、書き出しもいつ
  もより増して、ぼんやりしている。
   俺はいまセルを4つ持っている。民生用移動電話の最初の奴(簡単
  なベンチプレスには最適)、モトローラ2機に、iPhone。ずっと民生
  用セルを使って来たのだったが、昨年末に充電池のほうがもう寿命ら
  しく、今はインテリアの一とつになり、モトローラの1機は箱のなか
  に久しく眠ったまま、iPhoneはファミリー・プランで買わされたの
  だけど、俺には無用の長物でこれも置物にしかなっていない。なので、
  モトローラの、やっとモノトーンの表示からカラーに変わった最初の
  モノを使っていたのだけど、このタッチの操作が、小さ過ぎて、俺の
  指にはまったく合わない。だから、眠っているモトローラに再々登板
  を願おうと」(以前は一時的に使っていたが)、スプリントのショッ
  プに持ち込んだ昨日の会話が冒頭のそれ。

   NEXTEL i1000。
   それまではStarTACというセルラーフォンの記念碑的な傑作(まァ
  契約も$1000もしたんだけど)を使っていた。あの時代は雑音は
  多いし、どこでも使えるものでもなかったし、誰もがセルを持ってい
  る時代でもなかったから、コールされる、コールするは緊急事態以外
  には有り得なかった。それがセルラーフォーンの原点だと、俺はいま
  でも思っている。それはセルラーフォーンの登場に立ち会った人々の
  胸中にはどこかに「電話ってナンなんだろう」という意識を共有する
  ように意う。時節がどう変化しても。
   StarTACはそれから、蒐集の対象になって(今はどうか知らないけ
  れど)、破格の値段で譲って欲しいという人が居て、譲ったのだけど
  それに替わって求めたのが、このNEXTEL i1000。
   デザインも気に入ったし、使い勝手も未だに色褪せていない。タッ
  チも間違いはないし、いらいらすることもないし。電波もすこぶる強
  く、雑音もない。そしてこのセルでサン・フランシスコへの5号線を
  ひたすら疾走していた時。そこは家もないただ存るのは、無限に拡が
  る空と、平原のみが続く大地なのだが、突然にコールを知らせるシグ
  ナル。なにかの間違いではないかと、取ればなんと外国からのインタ
  ーナショナル・コリング。吃驚したのだったが、後で調べれば、サー
  ヴィス・エリア外には、無線にチェンジして電波を送り拾うというサ
  ーヴィス(オプション)だった。その雑音のない、明瞭でいまそこに
  相手がいるかと意う会話の数十分は今も忘れられない。この大国アメ
  リカならではの話になってしまうけれど。そしてこの機がいたく愛用
  するかというと、ウォーキー・トーキーが絶妙だったから。コールが
  ある、コールするにしても、一とつスイッチを叩けば、電話を持たず
  に相手と話ができる。これは画期的であって、母屋とゲスト・ハウス
  を結ぶ、ラジオのような感覚で使用できることだった。これももまた
  記念碑的な傑作だろうと意う。

   その傑作がまた甦れそうだ。
   電話は話すために、
   電話は用件を伝えるために───。
   ただそれだけなのは俺の場合言うまでもないけれど。

                            - 了 -

Tuesday, May 26, 2009

右脳も左脳も要求される -第二次核実験-



   旧聞には属さないが、日本で物議を醸した元軍人が、「左にか脳味
  噌が詰まっていないんだろう」とリベラルな人々を揶揄したことが有
  った。それが妥当かどうかは兎も角として、その発言を知った俺はの
  感想は「こんな軍人に戦闘指揮は希むべくもない」という感想と、そ
  の人物に傾倒する軍人が日本には多いことを聞き「これぢぁ大戦前の
  日本の愚かさから一歩も学んではいないではないか。地下の司馬さん
  も『見なくてよかった』の心情もよく判る」だった。その意味なら、
  日本には戰争遂行能力(=総力戦能力を含め)、策戦立案、分析、そ
  して決断といった能力に著しく欠ける軍隊と指揮官を喰わしていると
  いった事でもあり、或る意味で、仕方ない保証金の積み立ての気がし
  ないでもない。これは見方によってまた違うけれども。
   俺的な体験で言うと、軍人は右にも左にも脳味噌が詰まっていれば
  詰まっているほど優秀な軍人であり指揮官である。先の日本の軍人は
  彼の論法に習うなら「右にしか、しかもちょっとだけ脳みそが存る」
  にしか思えない。こんな軍人に国防の第一線を任せることは、それだ
  け平和であるという証左のように意う。戰争というものは、勝つか負
  けるかの場であって、そこにはイデオロギーなぞは凡そ無用な、それ
  でいて判断を誤らせる一等避けなければならない。それがアメリカの
  軍人としての在り方であって軍人養成の哲学。勝利する為には、あら
  ゆる方策、あらゆる詭計、あらゆる能力が動員されて、初めて戰争と
  いうもの、戦闘というものの彼我の力関係の膠着を突破することが可
  能になる。
   最上のアメリカの軍人というと、尊敬を込めてコリン・ルーサー・
  パウエル大将と答える。軍人一筋の氏の歩みそのものにも、数多の名
  誉(日本からは勲一等)、そして国務長官としての官僚としての能力
  ───アメリカンいろいろな人物に我がアメリカを仮託するのだけれ
  ども大将もその一人であることは言うまでもない。大将がオバマ候補
  を支援したのも、卓見した軍人として鍛えられた合理主義的精神。即
  ち国の命運を誰に託するが妥当であるかの、軍人的判断力からのもの
  だったとも言えるだろう。



  「パウエル氏は、とうに党から離れていると思いますがね。私は彼が
  まだ共和党員か知りませんけど」


  「チェイニさんは誤解してるんぢぁないでしょうか。私はまだ共和党
  の一員ですよ」

   いま共和党は内部分裂の様相を呈している。それはチェイニーに代
  表される、その娘が言うところの「保守主義は保守主義である」とい
  う、究めて退歩的な、メーシーズ的な論法の側と、大将に代表される
  、彼自身が問う「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤
  りの分岐点を見極め、そして如何なる方向に進むのか」という、保守
  そのものの総点検と再生を訴えている。共和党内部では、チェイニー
  側はローヴ元大統領上級大統領顧問が、大将側は、リッジ元国土安全
  保障長官が、中間にはギングリッジ元下院議長が───という構図な
  のだが、当のローヴ氏さへ大将には戻って(ブッシュ政権全面支持)
  欲しい、アドヴァイスが必要だとも語っているから、そこも俯瞰して
  図面を拡げて見ると、チェイニーと「狂った連中(ネオコン)」だけ
  の四面楚歌ということなるだろうか。「保守主義は保守主義」と娘は
  父を代弁するけれども、今、我々リパブリカンが再設定しなければな
  らないのは、この我がアメリカの歴史的な地殻変動的な変容にどう応
  じるかなのだと意う。ゲイである娘が「保守主義」と言うからには自
  らがThe Holy Scripturesに照らしてどうかを考えて見ただけでも、
  その保守主義が合理性を失っているではないか。その意味ではチェイ
  ニー氏には悪いが、彼もまた「右半分にしか脳みそが詰まっていない
  」と念はざるを得ないし、彼の発言はまた歴史と時代が変わる時に生
  じる人とその発言のように念う。


   北朝鮮の第二次核実験。
   直感だが箇条書きに遺して措くとする。

  ■北朝鮮がグラスの水を大きく揺さぶる

   ▷日本の雰囲気の微妙な変化
   ▷韓国内の動揺のなさ
   ▷ワシントンの対アジア外交の不稼働への督促状
   ▷中南海の困惑
   ▷クレムリンが中立であるのかどうか
  
  直感としては上記の箇条的なもので、この核実験は、言わば督促状の
  ようなものだと意う。恐らく、北京が態度を硬化することも、各国の
  態度が硬化することも完全に想定した上での、核実験だった。それで
  も膠着した情況を打開するには「グラスの水を揺らしてみる」。これ
  が戦術の要締であるから、北朝鮮の動きは、外交術からして当然も当
  然だろう。後はどういう変数が生じるかを見極め、第二、第三の手は
  姜錫柱外務第一次官とそのタスク・フォースが練り上げているに相違
  ない。不意打ちはどたばする人間が、浮き足立つ。しかしその不意打
  ちの中身によっては、人と人は利害関係ですったもんだりするように、
  国と国も同じく、すったもんだすることを見越している。それでも動
  かずば、戦前の日本ではないが「連盟よさらば!の手も存るだろう。
  北朝鮮の故金主席をして「我々は戦後50年も、事実上の制裁を受け
  てきたようなものだ」と語った、その言葉に、北朝鮮の力というもの
  を俺は視ている。あちらの経済は、制裁が前提の経済体制を構築して
  いる訳だから、最初から西側の論理が使えない。つまりこう問うとす
  る。

  「貧しくて自由がないなんておかしいですよ?そうじゃありませんか
  ?」
   彼等の多くはこう答えるだろう。
  「大御心の意を体して、貧しくとも国を守る」と。

   日本の戦前はこのような世界で一色化されていた、その歴史を分析
  すればそれで北朝鮮に人心はどこにあるか、「生きて陵辱の辱めを受
  けること勿れ」という軍人勅諭も、実は北朝鮮に受け継がれているこ
  とも理解出来る。そういう体制と生きる人々に、制裁を幾ら課したと
  ころで事態は何ら変化しないのは言うまでもない。ましてや、敵地攻
  撃論なぞは北朝鮮の希むところであり、それこそ、中国・韓国・台湾
  ASEANが一致して日本を警戒させることになるのも計算の上であろ
  う。しかし、高く評価したいのは麻生首相である。これまでの宰相は
  外交的詭計を使ったことがない。それか安倍のように子供の火遊びの
  ような「ごっこ」でしかなく、老獪な発言というものを日本の宰相か
  ら聞いたのは久しぶりである。その意でも、麻生発言は高く評価した
  いし、外交は能動的でなければならないを宰相自ら体現することに留
  意している。ただ、日本の論調がこんどは逆だ。どれもこれも腰砕け
  なのである。あれだけの攻撃性を北朝鮮に発揮しながら、微妙に動揺
  しているのが、こちらから見える。実際、ここは日本人が中国なり韓
  半島に対する差別構造にも辿れるのだが、「大したもんぢぁない」「
  「どうせ玩具みたいなもの」「そんなもん作れる筈がない」「どうせ
  失敗したんでしょ」───色々な発言のなかに、差別構造を見いだす。
  ところが、そういう人々こそ事実が事実になると───どう変容する
  か。それは人も同じで、ただ畏れるのか、戸惑うのか、それとも靡く
  のか、そのどちらかしか選択肢が亡い。第一次核実験、そして第一次
  から先のロケット打ち上げまで、日本は「上から目線」であったよう
  に意う。それが、変化を起こしている。その変化も、いまは当惑の状
  態であるから、これからまた攻撃性に再転化するだろうとも意うが、
  相当変わってゆくだろうなと直感している。「上から目線」は変わら
  ずとも、「怖い者には巻かれろ」的な部分が出て来るかも知れない。
   被害者の会に「拉致」された日本外交にも変数が生じるのではない
  かも含めて。田原氏はそれを語っただけであるのに、袋だたきという
  のは、日本がいかに外交的能力を欠いているかが判る。それさへもち
  ゃんと計算想定内に入れている北朝鮮外交部の手腕と能力は、敵なが
  ら天晴であると俺は意う。
   そして、ここが俺的な見方なのだが、この「グラスの水を大きく揺
   さぶる」策戦には、ピョンヤンの隠されたメッセージが存るように
  考える。それは「もっとちゃんとした人間を話し合いに出て来ないと
  埒が開かないでしょう」だ。その意味するところは、我がアメリカな
  らアメリカの現北朝鮮担当者、日本でなら山崎拓ぢぁダメだ」という
  メッセージだろうと。詰まりは、夫々の国の対北人脈の交替を促して
  いるように捉える。オバマ政権にも麻生政権にも、そして中南海にも。
  とすると、彼等の奈辺がどこにあるか判ってくる。
   それは一括妥結式、トップでの手打ちだろう。それが北朝鮮では「
  ご聖断」になるのだから。それ以外には亡いのです、と主張している
  ように意う。日本にそれに相応しい逸材がいるか?それは日本が決め
  ることだけれども、なるべく私心のない人物。しかも、全権を委任し
  て信任たる人物───俺的には中曽根元総理が最適だと意うのだが。

  「ナニが正しく、ナニが誤りであり、その正しさと誤りの分岐点を見
  極め、そして如何なる方向に進むのか」

   パウエル大将的な存在をいま情勢は必要としているように意う午前
  だった。
                            - 了 -

Monday, May 25, 2009

What is displacede by these categories?


  What is displaced by these categories?
  The chief casualty the straightforward news piece and news w-
  ritten with a few (hard-won, to be sure) new details that does
  not move us significantly past what we already konow......

   全面刷新したNewsweek誌のミッチャム編集長のコラム「世界変革
  に対応する新しいマガジン」の一節で、ご覧のように「これからの我
  が雑誌は、誰でも既に知っている(情報世代の混迷)報道は取り挙げ
  ず、更に深く踏み入った誌面にする」というもので、値段も$1「も」
  上がった。
   TIME, US NewsとこのNewsweekは、ジェフィー・リューブでのオ
  イル交換、病室、公共機関───どこにでも必ず2誌は置いてある、
  アメリカの日常の活字メディアの一とつ。そこに+でPeopleが入れば
  完璧だろう。しかし各社とも経営は危険水域。ミッチャム氏が表現す
  る「情報世代の混迷」の結果、これまでのフレッシュな情報では勝ち
  目はない。なぜなら相手は、見出しと写真だけでニュースというもの
  を判断してしまう世代であって、それ以上を欲せず、考えることもし
  ないという世代に対して、明らかに時間速で遅れている活字メディア
  が抗することは土台無理であって、ならば、それを後追いするのでは
  なしに、一とつの重要なニュースを掘り下げて、多角的に検証する、
  本来のジァーナリズムに復帰しようという目算だと意う。その対象は、
  知識富裕層。つまり知識に置いて混迷世代とは一線を画す、富裕であ
  ってしかも知力の高い層ということになる。LAならブレントウッド
  かベルエアかはたまたヴェニスかウェスト・ハリウッドのネイヴァー
  に特化しようという。報道でも紹介されているように、高質度を目指
  すマガジンを作ろうという方針。我が家にも最新号が送られて来たの
  で、読んでみたが、第一印象は「これでは苦戦するんぢぁないだろう
  か」だった。オバマ大統領への直截インタヴュー、ペロシ下院議長の
  情報既知疑惑ルポ、ブッシュ前大統領の今───などで、大統領イン
  タヴューは、社主がポスト紙だけに、俺は飛ばしてしまい(「私はス
  ポーツ以外にテレヴィは見ない」で十分な回答だから)、読み込んだ
  のは、国際ルポの記事『困難な標的-アフリカ最後の戰争君主-』だ
  った。23年もの間、未だに殺害あるいは逮捕を免れている、ジョゼ
  フ・コニーなる、狂気の男の追跡記事。ウガンダ北部、スーダン南部、
  そしてコンゴで自らを霊媒と称して、数多の拉致と殺害に狂奔する1
  1歳から15歳の少年だけを集めた殺人部隊を用いる男の話なのだけ
  ど、以前であるならこの狂った男の情報だけで終ったことだろう。だ
  が誌面刷新のせいかも知れないが、実はこの狂信的男を支援している
  のが、外ならぬスーダン政府、就中、あのオマル・アル-バシルだとい
  うこと。我が国も含めて国際社会がなぜバシルを訴追しているかの、
  最大の事由はこれでもあるという情報は、読者層の溜飲を下げる内容
  かとは意う。

   だけれど、むぅん、ルポルタージュというものは机上で取材できる
  ものではなく、戦場なら戦場でそこに生き暮らす人々の中に、相当期
  間は入らなければ書けない性格のものであって、そういう意味なら、
  今のジャーナリズムはルポは一部を除いて潰滅的惨状だ。そういう読
  み応えがある報道というのは、今で言うならNATIONAL GEOGRAP-
  HICぐらいなもので、俺は専らそれを読んでいるし、どうせ机上で物
  事の本質にニヒルに迫ろうとするならNEW YORKERを読んでいる。
  そういう意味でならこの刷新はまだ中途半端ではないか───と意う。
  どうせなら写真の類いは極力外して、ほんとうに活字を欲している層、
  そして事象の本質に週刊誌的に迫ろうとする意気込み、そうしたスタ
  イルへの刷新ではないと、悪戯に中途半端で、$1を余計に支払う俺
  等からするとヴァリューというアメリカンの計算機から評価が弾き出
  される。
   さて、そんな新しい週刊誌を読んでいた昨日は、朝のタイムズから
  の購読料金改訂のお知らせのレター。昨年値上げしたばかりぢぁない
  かと、手紙を抜いて読めば、また改訂。日本で月の新聞購読料金は知
  らないが、新しい価格であると、月$62となる。こんな時代がやっ
  て来ようとは───。-:-;;
  まぁアメリカの新聞はよくやっている方だと意う(ル・モンドは遥か
  に重厚)。長大で執拗なルポルタージュ。日本からの報道なら、農村
  や漁村、そして大阪のあいりん地区に生きる老いた人々の絶望、トヨ
  タのお膝元である豊田市での失業の増大とホームレス化してゆく街。
  東京発がない。あの24時間の東京。一とつの巨大な消費欲望都市生
  じる、へんてこで奇妙ながらも、新しいカルチャーを発信しているそ
  のような風俗は報道に値しないのだろう。それよりも、日本の地方の
  余りの落差。これは韓国のソウルと農村、北朝鮮のピョンヤンと農村、
  中国の大都市と農村のアジア的社会のなかで、その突出した落差をそ
  こに見ているんだろうと想像するけれど、非常に読み応えがある。人
  そのもののうめきが伝わってくるようだ。これは小津や成瀬の描いた
  世界をアメリカンがどう受け取るか───そこら辺にも通底するよう
  に覚える。いまアメリカンの知る
  日本は、嘗ての陳腐な日本ではない。日本人よりも日本の地方に委し
  いんぢぁないかとさへ意う。それだけ日本のメディアが陳腐化してし
  まった。ナニが報道に値するのか、印刷に値するのかを見失ってしま
  った。であるなら新聞が売れなくなり、テレヴィが危機に陥るのは自
  然なる帰結だろうと考える。
   そういう意でも、アメリカのジャーナリズムは健在だと意うのだけ
  れど、やはりミッチャム編集長の談ではないが、「一行の見出しと写
  真でニュースを判断してしまう」世の中に至ったなかで、事実とは何
  であるか?。詰まりあらゆる角度からの検証に耐えぬいた事実を確認
  する作業とは、凡そ人の意識状態のものであるから、その意識状態が
  このような状態であると、極めて厳しいものがこのアメリカの健全な
  ジャーナリズムでさへも、と付言して置きたいのだけれども、察する
  に剰りある。しかし、NEW YORKERの読者層は殖えているのだから
  そう諦めることもない。人は高品質な情報を欲しているのは明らかだ
  ろうから。そう思うと、俺もシェルパの気持ちで、高いけれども、募
  金の積もりで来月からの引き落としにも泰然として置こう。
   日本では北朝鮮はメディアの救世主。北朝鮮樣様である。報道もワ
  イドショーも、完全失敗したTBSのワイドショー・ニュースも。俺
  から見ると努力を完全に怠っているように意う。相も変わらない、危
  険、重大、脅威の連続語。がしかし、その危険、重大、脅威といった
  言葉を反復するなかに、ではどうした策なり対応が必要かというと、
  制裁か対話。まぁ出て来る登場人物も大した者たちぢぁなく、出演料
  とか個人的な知り合いかなんかで出されてるらしく、ただダベってい
  るだけ。それはデジタル上でもまったく同じなのだけれども。
   俺だったら、ル・モンドだったらル・モンド、シンジケートである
  パキスタン、イラン、ベネゼェラなどの専門家に違う視点から見た、
  こうした情況であるとか、そういう切り込み方をするけれど、そうし
  たこともない。分析する力が終始に偏って硬直化してしまっている。
  「まぁそんなもんだろう」的な悪癖が蔓延って久しいし、それにがん
  じがらめだ。自分たちの給料が削られるとなると高い分析力とか闘争
  心を漲らせる───。これぢぁ本末顛倒なのだ。だから俺的提案は、
  新聞なら新聞、テレヴィならテレヴィは、もう正社員制をそれこそ廃
  止して、経営部門を除けば全員個人契約(フリー契約)にした方が可
  いとさへ意う。契約記者の質の高さによっては正社員化する。それぐ
  らいしないで「困った、困った」ぢぁ話にもならないだろう。そうい
  う時が間もなく来るとしたら、今のジャーナリズムの危機もまんざら
  捨てたものではないとも意う。

   それにしてもやっぱり高いかぁ───。-:-;;

                          - 了 -